《月影の柞》

題しらす よみ人しらす

さほやまのははそのもみちちりぬへみよるさへみよとてらすつきかけ (281)

佐保山の柞の紅葉散りぬべみ夜さへ見よと照らす月影

「佐保山の柞の紅葉が散ってしまいそうなので、昼だけでなく夜までも見ろと照らす月影。」

「散りぬべみ」の「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形。「べみ」は、推量の助動詞「べし」の語幹部分に接辞「み」がついたもの。「夜さへ」の「さへ」は、添加の副助詞。
秋が深まり、佐保山のコナラの紅葉は散ってしまいそうだ。散る前にその目に焼き付けろと言わんばかりに、昼ばかりでなく、夜になっても月光が照らしている。夜の闇の中で月光に浮かび上がった紅葉のなんと美しいことか。
佐保山は、コナラの紅葉が特徴的である。その紅葉が散ってしまうのを惜しむ思いを詠んでいる。昼に見るだけでは物足りない。夜も見ていたいと思う。その思いを月影の意志として表した。また、月光に照らされたコナラの紅葉の美しさを表している。コナラの紅葉は、楓や銀杏に比べれば、やや地味な色であるけれど、月光に照らし出されれば、なんとも美しい色に見える。コナラの紅葉は、月光のもとでも見るべきだと言うのである。

コメント

  1. すいわ より:

    漆黒の闇をぬって月の光が樹木を照らす。その銀の光を受けてコナラの葉は金色に染まり、その葉のギザギザがより金属的で鋭利な輝きを放つ。まるで漆器に施された蒔絵を見るようです。
    実際に夜の山にいてこの景色を見た訳ではないでしょう。それを心の目で見る事が出来るのは、日頃から自然を見つめる目、繊細な変化に気付く感性が研ぎ澄まされているからでしょう。脱帽。

    • 山川 信一 より:

      言葉は、事実をそのまま写し取ることができません。読者の想像力に訴えるしかありません。それでも、読者がこの歌の言葉から「漆黒の闇をぬって月の光が樹木を照らす。その銀の光を受けてコナラの葉は金色に染まり、その葉のギザギザがより金属的で鋭利な輝きを放つ。まるで漆器に施された蒔絵を見るようです。」と想像するとしたら、この表現は成功していると言っていいでしょう。

  2. らん より:

    柞とはクヌギのことなんですね。
    クヌギのどんぐりを思い出してすごく懐かしい気持ちになりました。
    小さい頃にたくさん拾ったなあ。
    クヌギの木の紅葉を夜の月までがおすすめしてて。それほど素敵なのだなあと、ずっとずっと見ていたい気持ちになりました。

    • 山川 信一 より:

      平安時代の貴族もドングリで遊んだと考えると、面白いですね。少なくとも、子どもはそうしたんじゃないでしょうか。日本人の感性はそう変わらないと思います。
      この歌では、「佐保山」「柞の紅葉」「月影」の取り合わせが発見なのでしょう。地味な、柞の紅葉も舞台設定で生きてきますね。

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