《神を感じる秋》

題しらす よみ人しらす

かみなつきしくれもいまたふらなくにかねてうつろふかみなひのもり (253)

神無月時雨も未だ降らなくに予て移ろふ神南備の森

かみなひのもり:神のいます森の意。ここでは、奈良県斑鳩町にある森。

「神無月に時雨もまだ降らないのに、それ以前に紅葉する神南備の森。」

切れがない。「なくに」は、「な」が打消の助動詞「ず」の未然形、「く」は準体助詞、「に」は間投助詞で、詠嘆の気持ちを込めた接続語。「なのに」の意。「かみなひのもり」は体言止めで、余情を感じさせる。
陰暦の十月、秋がいっそう深まった。ただ、木の葉を紅葉させる時雨はまだ降っていない。それなのに、ここ神南備の森は、前々から紅葉している。秋の進みが殊更早い。これで時雨が降ったら、紅葉は全て散ってしまうに違いない。何とも侘しい秋である。神無月の神南備の森なので、神がそうさせているのだろうか。
季節は常に順番通りに移ろうものではない。時に順番が狂い、戸惑いを感じることもある。その収まらない思いを「神」の存在を意識することで収めようとしているのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「神無月ともなるのに、まだ時雨も降らず秋の深まるのを知らない人里とは違って、やはり神のいます森はひと足先に彩り鮮やかな秋を迎えている事だ」なのだと思いました。
    人の世は移ろうけれど、季節はなかなか進まない。それに対して神の森は変わる事なくそこにあるのに季節は着実に、人の住まう所より先んじて彩られて行く。
    人のリズムと自然のリズム。
    現代も人は自分の都合に合わせて自然の流れを捻じ曲げてしまう分、時間をかけて歪ませてしまったつけが回ってきていますね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、こう解釈すると、神を讃える歌になりますね。この解釈もいいですね。神南備の森の鮮やかな紅葉が目に浮かんできます。私は、「なくに」のニュアンスから嘆きに取りました。

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