退凡・下乗の卒塔婆、外なるは下乗、内なるは退凡なり。
退凡・下乗の卒塔婆:天竺に建てられた塔。下乗は、乗り物から下りるの意。退凡は、凡夫を退けるの意。
「退凡・下乗の卒塔婆は、外に在る方は下乗、内に在る方は退凡である。」
インドの卒塔婆の名の違いを言う。第百九十八段からこの段まで教養のほどを示しているけれど、最後に専門の仏教に関するもので締めている。「どうだ」と言わんばかりである。短く区切っているのは、嫌みに思われないようにしたからだろうか。
退凡・下乗の卒塔婆、外なるは下乗、内なるは退凡なり。
退凡・下乗の卒塔婆:天竺に建てられた塔。下乗は、乗り物から下りるの意。退凡は、凡夫を退けるの意。
「退凡・下乗の卒塔婆は、外に在る方は下乗、内に在る方は退凡である。」
インドの卒塔婆の名の違いを言う。第百九十八段からこの段まで教養のほどを示しているけれど、最後に専門の仏教に関するもので締めている。「どうだ」と言わんばかりである。短く区切っているのは、嫌みに思われないようにしたからだろうか。
コメント
「ここまで来ることはできる、でも、心得無きものは去れ」と言うしるし?
この本を手に取ることは出来る、でも、あなたはこれを読むに値する?とでも言いたいのでしょうか?嫌味に思われないように?、、充分伝わりました。
随筆というジャンルは何でも言えるので便利ですが、書き手の人柄が表れやすく、時に嫌味にもなりますね。