かりのなきけるをききてよめる みつね
うきことをおもひつらねてかりかねのなきこそわたれあきのよなよな (213)
憂き事を思ひ連ねて雁金の鳴きこそ渡れ秋の夜な夜な
「雁が鳴いたのを聞いて詠んだ 凡河内躬恒
つらい事を思い連ねて、雁が鳴き渡るが、私はここで泣き続ける。秋の夜ごとに。」
「こそ」は係助詞で強調を表す。係り結びとして働き、文末を已然形に変え、以下に逆接で続ける。ここでは、それによって、鳴き渡るが雁で、自分は泣くしかないことを暗示する。「秋の夜な夜な」は倒置されている。
秋の夜には、つらいことが次から次へと浮かんでくる。すると、夜空を渡る雁の鳴き声が聞こえてくる。あれは今の私だと思えてくる。だけど、私もあの雁のようにどこかへ渡ることもできずに、ここでこうして毎晩毎晩泣き続けている。
自然物自体に感情はない。それがどう捉えるかは、その折々の人の心次第である。作者は、雁が鳴くのを聞いて、つらいことを思い連ねて鳴いているように感じつつ、その違いも意識した。雁と今の自分を比較したのである。人は、秋の夜には雁の鳴き声雁の鳴き声をこんな風に聞くものだと言うことで、秋が人を感傷的にする季節であることを表している。
コメント
深まり行く秋の夜、何かにつけ物思いに耽り、夜ごと秋愁に涙してしまう。そんな折、雁の声を聞く。お前も泣いているのか。でもそうして、ここではない何処かへお前は行けるのだね、私はこの思いに囚われて身動きもできないのに、、
なるほど、飛び行く雁と留まる自分なのですね。
連なって鳴き渡る雁の群れを見て、自分は独りきり、この憂いを共有する者のいない孤独をより一層強く深く感じたのだと思いました。
鳴き渡る雁と自分を比べて、相違を思います。同じ所もあれば違うところもあります。
その思いを「こそ・・・已然形」=逆接に託しました。油断のならない表現です。
憂いは一緒。だけど違うとこもある。
こその表現、侮れませんね。
歌人は、文法という約束事を駆使して思いを伝えてきます。そのヒントを見逃さないようにしたいですね。