これさたのみこの家の歌合のうた とものり
あきかせにはつかりかねそきこゆなるたかたまつさをかけてきつらむ (207)
秋風に初雁が音ぞ聞こゆなる誰が玉梓を掛けて来つらむ
「是貞親王の家の歌合の歌 友則
秋風に初雁の声が聞こえるようだ。誰の手紙を身に付けて来たのだろう。」
「ぞ」は係助詞で強調の意を表し、係り結びとして働いている。文末を連体形にしている。「なる」は聴覚推定の「なり」の連体形。ここで切れる。「誰が」の「が」は格助詞で「の」の意。「来つらむ」の「つ」意志的完了の助動詞。「らむ」は現在推量の助動詞の終止形。
高い空から秋風に乗って初雁の鳴き声が聞こえてくる。あの雁は、誰の手紙を携えて、ここまで来たのだろう。もしかしたら、私への手紙かも知れない。そうだったらいいのに。
「玉梓」は手紙のこと。雁は、中国の昔の蘇武の故事から、手紙を運ぶ使者と言われている。秋は、爽やかではあるけれど、人恋しくもある。そこで、「秋風」「初雁の音」から「玉梓」へと連想が広がっていく。秋は、想像力を刺激する。そんな秋の季節感を伝えている。
コメント
「風の便り」なんて言葉があるくらいですから、風は「ここ」へ何かを運んで来る。でも何か心許ない。その風に乗って雁の初音が聞こえて来た、となればいや増しに人恋しく、誰からの便りが届くであろうとの期待も募る。
このなんとも言えない不確かな寂寥感、秋の気配はこうして満ちていくのですね。
「このなんとも言えない不確かな寂寥感」は、いい捉え方ですね。秋の雰囲気が感じられます。
『土佐日記』に「唐土とこの国とは言、異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。」とありました。雁への思いも同じなのでしょう。