なぬかの日の夜よめる 凡河内みつね
としことにあふとはすれとたなはたのぬるよのかすそすくなかりける (179)
年毎に逢ふとはすれど七夕の寝る夜の数ぞ少なかりける
「七日の日の夜に詠んだ 凡河内躬恒
毎年逢いはするけれど、織女の共寝をする夜の数が少ないことだなあ。」
「逢ふとはすれど」の「は」は、取り立てを表し、言外に何かあるという含みを持たせる。「七夕の」以下にその理由を述べる。「数ぞ」の「ぞ」は係助詞で強調。係り結びとして働き、「少なかりける」に掛かる。「ける」は、詠嘆の助動詞の連体形。改めて、そのことに気づき、詠嘆している。
毎年逢うことは逢う。しかし、逢うと言っても、一年にたった一度のことなのだ。これでは、織女の共寝をする夜の数があまりに少ない。これで逢ったことになるのか。言葉だけで、実質が伴っていないよ。あまりにかわいそうだ。
第三者の立場から共寝する日が少ないことに不満を言う。誰もがそう思っていても口にしないことを敢えて言っている。「これがホントのところだよね。」と。自分の思いに正直に生きるべきだと言いたいのだろう。
この歌は、なかなか逢ってくれない相手に、逢うことを促す歌として使えそうだ。「これじゃ、私たちはあの二人のようじゃないですか。」と。
秋のいい日も、それを有効に生かしてこそのものだともいいたいのだろう。
コメント
楫を隠すとか、霧で帰り道を見えなくするとか、そんなまだるっこしい事言っていないで思い合っている同士なのだから分かりやすく言っちゃえばいい、年に一度きりなんて言わず逢いたいって。皆もそう思っているはず。
この時期はまだまだ夏の暑さが残って心地良く夜を過ごせる日も少ないのかもしれません。毎年の事ながら、七夕の空を仰ぎつつ、夜長の秋を切望しているのでしょう。
七夕を巡っては実に様々な思いが交錯しますね。秋の涼しさが想像力を活性化するようです。
なるほど。本音はこうでしょってことですね。
なんかズバッとあからさまな歌だなあ。
私は清らかな七夕様のほうが好みですね。
なるほど、あからさまに口にしない方がいいこともありますね。
でも、愛し合っているのに一年に一度しか逢えないのは辛すぎますね。