大臣の大饗は、さるべき所を申しうけておこなふ、常の事なり。宇治左大臣殿は、東三条殿にておこなはる。内裏にてありけるを、申されけるによりて、他所へ行幸ありけり。させることのよせなけれども、女院の御所など借り申す、故実なりとぞ。
大臣の大饗:大臣に任じられた人が催す大きな宴会。
宇治左大臣殿:藤原頼長。関白忠通の弟。保元の乱を起こして戦死する。
東三条殿:三条の北、烏丸の東にあった宮殿。
行幸:天皇などの外出。
女院:(にょうゐん)天皇の生母や内親王などで、院号を受け、上皇に準じた待遇を受ける女性。
「大臣の大饗は、それを行うのにふさわしい所を朝廷に願い許可を得て行うのが通例である。宇治左大臣殿は、東三条殿でお催しになる。当時東三条殿は内裏であったのを、申し上げなっさったことによって、帝は他所へ行幸なさった。大臣の大饗は、これと言うほどの縁故が無くても、女院の御所などをお借り申し上げるのが由緒正しい先例であると言う。」
宇治左大臣殿の大饗は、内裏で行われた。そのために、天皇は外出までされた。このように聞くと、宇治左大臣殿の権力がいかに大きかったかを示しているように思われるかもしれない。しかし、それは誤りである。これは故実に従っているだけだ。宇治左大臣殿のように、そこまでの縁故が無くても、女院の御所などで行われるのが通例だった。だから、これを以て直ちに、宇治左大臣殿の権勢や天皇の権威が失墜の証拠にしてはならない。物事は正しく判断すべきである。兼好はこう主張したいのだろう。
コメント
「宇治左大臣が大宴会を内裏で開催する事にしたために帝がその場から出ざるを得なかった、それ程までに藤原家は権勢を振りかざせるまでになっていたのだ」と世間で取り沙汰された、という事なのでしょうか。でも、その見方は間違いで、元々そうしたしきたりがあるという事を踏まえて見るべきだ、と。
噂が独り歩きをして事実を乗り越えてしまうこともあります。天皇の権威が絶対であったら、そんな憶測すら出て来ないのかもしれない。何が本当なのか、自分で多方面から見聞きして判断するしかありません。
そうですね。事実は正しく捉えるべきだと、言うのでしょう。また、それに加えて、天皇を中心とする秩序が崩れるのを快く思っていないからでしょう。兼好は、保守主義者ですからね。