《境遇による聞こえ方》

はやくすみける所にてほとときすのなきけるをききてよめる たたみね

むかしへやいまもこひしきほとときすふるさとにしもなきてきつらむ (163)

昔へや今も恋しき時鳥古里にしも鳴きて来つらむ

「以前住んでいた所で時鳥が鳴いたのを聞いて詠んだ  壬生忠岑
昔のかたが今も恋しいのか。郭公よ。それで殊更、昔馴染みの場所に鳴いて来ているのだろうか。」

「昔へ」の「へ」は、「いにしへ」と同じで「方」の意。「や」は係助詞で疑問を表す。「恋しき」に掛かり、連体形で結ぶ。ここで切れる。「時鳥」は呼び掛け。また、「恋しき」「鳴きて来つ」の意味上の主語になっている。「しも」は強意の副助詞。「来つらむ」の「つ」は意志的完了の助動詞の終止形。時鳥の意志を表している。「らむ」は現在推量の助動詞の終止形。作者の思いを表している。
以前住んでいた場所は、懐かしいものだ。昔が恋しくなり、感傷に耽ってしまう。そんな折、時鳥の声が聞こえてくる。時鳥にとっても、ここは、「古里」(昔馴染みの場所)なのだ。だから、恋しくて、鳴くところは他にもあるのに、殊更ここで鳴いているのだろう。時鳥が「昔」を恋しく思う「今」の私さながらに鳴いている。
時鳥の鳴き声は、聞き手がどんな境遇にあるかによっても違って聞こえてくる。聞き手が昔を恋しく思っているので、時鳥の声もそう聞こえるのだ。それがこの歌のテーマである。(前の歌では、その条件が「松山」という場所であった。)この歌では、「昔」と「今」の対照が読み手に時鳥と作者の対照を促す。そして、作者が時鳥の鳴き声に感情移入していることを暗示する。
ちなみに、この歌では「郭公」が「時鳥」と表記されている。それは、内容が「時」に関するものだからだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    ホトトギスはあくまでも変わる事なくホトトギスとして存在していて、いわば「触媒」なのですね。それぞれの詠み手の思いがホトトギスを介してそれぞれの世界へと変化を遂げる。
    この歌でホトトギスに当てられる漢字を「時鳥」にしたのは何故なのかと思いました。なるほど。

    • 山川 信一 より:

      ホトトギスは「触媒」、いいたとえですね。ホトトギスによって、詠み手の思いが変わってくる。ホトトギスの鳴き声は変わりません。納得が行きました。

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