寛平御時きさいの宮の歌合のうた みふのたたみね
くるるかとみれはあけぬるなつのよをあかすとやなくやまほとときす (157)
暮るるかと見れば明けぬる夏の夜を飽かずとや鳴く山郭公
「宇多天皇の御代、皇后温子様が主催された歌合わせの歌 壬生忠岑
日が暮れるかと思うともう明けてしまう夏の夜よ。それを物足りないと言って鳴くのか、山郭公は。」
「夏の夜を」の後に短い切れがある。それは、「を」が詠嘆の間投助詞と時間的な場を示す格助詞を兼ねて働いているからである。「飽かずとや」の「や」は、係助詞で疑問を表し、「鳴く」で結んでいる。「山郭公」は倒置になっている。
作者は夏の短夜を嘆いている。なぜなら、平安貴族にとって夜は恋の時間帯であるからだ。夜は長くあって欲しい。夜が明ければ、恋の時間帯は終わってしまう。泣きたいほど嘆かずにはいられない。すると、夜明けと共に郭公が鳴き始めた。あの鳴き声は、自分と同様に短夜を嘆いているからだろうか。きっとそうだ。今の自分の代わりに声を上げて鳴いているのだ。作者には郭公の声がそう聞こえる。
歌合わせでは、郭公の声がどう聞こえるかを競っていたのだろう。この歌では、短夜を嘆く理由が暗黙の前提になっている。それを郭公の鳴き声と取り合わすことによって、短夜の季節感を表している。
コメント
この時季の短夜を嘆く心を季節感と共に郭公に代弁させたのですね。「夏」の巻に入ってから見事なまでに郭公尽くし。平安貴族にとって、ただ暑くて心地悪いだけでなく逢瀬の時すら短くなる夏、郭公に言寄せてうさの一つも晴らしたいのでしょうか。春の桜づくし同様、一つの季題でどこまで表現し尽くせるか、歌の可能性をどこまでも探求する意欲に頭が下がります。
『古今和歌集』は「一つの季題でどこまで表現し尽くせるか、歌の可能性をどこまでも探求する」のが目的のようです。貫之は、歌のお手本集を作りたかったのですね。ただし、形式を真似るのではなく、その精神を真似て欲しかったのでしょう。題材を絞ったのは、読者が新たな題材で歌を作りやすくするためでもあったのかも知れません。
ほんとに郭公の歌がいっぱいありますね。
なるほど、そういうことですか。
夏の夜は短いから恋の時間も同じく短くなると。
自分も泣きたいのを郭公が代弁して泣いているように聞こえますね。
郭公と作者が重なって、一方が一方を映し出しているようです。