題しらす よみ人しらす
あしひきのやまほとときすをりはへてたれかまさるとねをのみそなく (150)
あしひきの山郭公折延へて誰が勝ると音をのみぞ鳴く
「山郭公が時を引き延ばして誰が勝つかと声を上げて鳴き続けている。」
「あしひきの」は、「山」の枕詞。「をりはへて」は、時間を長引かせての意。「あしひきの」の「ひき」が「をりはへて」の意味を増幅している。
「誰が勝ると」は、「俺の方が勝っている。」と、郭公が作者と張り合っていることを意味する。作者は、ある悲しみから、人里を離れて山中に来たのだろう。そこでは盛んに郭公が鳴いていた。すると、作者には、その声があたかも「あなたは悲しくて泣いているけれど、私の方がそれ以上に悲しい。」と鳴いているように聞こえたのである。
自然は、それ自体が意味を持っているわけではない。その時々の人の思いが様々な意味付けをするのである。だから、悲しみにある時と喜びにある時とでは、風景も違って見えたりする。郭公の声も作者が悲しみによって泣いていたからこそ、このように聞こえたのだ。しかし、この歌はそういう歌ではない。この歌の主役は、作者の悲しみではなく、郭公の声だからだ。
この歌でも主客転倒が起こっている。作者の悲しみは、郭公の声の説明のためにある。つまり、郭公の声とは、作者が悲しみにあって泣いている時に、それと対抗して、自分の方がもっと悲しいと長く鳴き続ける、そんな声なのだ。そして、その声は、作者の悲しみを更に一層掻きたてるのである。こう言われると、郭公の声が聞こえてくるではないか。
コメント
それにも勝る郭公の声、聞こえてきますね。山にこだまして更に更に折り重なり山間を埋め尽くしそうです。悲しみの深さと満ちる夏、耳から夏が流れ込んで来ます。
素敵な鑑賞です。郭公の声が夏山に響き、夏という季節を奏でていますね。そんな場面に身を置いているように思えてきます。