う月にさけるさくらを見てよめる 紀としさた
あはれてふことをあまたにやらしとやはるにおくれてひとりさくらむ (136)
あはれてふ言をあまたにやらじとや春に遅れてひとりさくらむ
「四月に咲いている桜を見て詠んだ 紀利貞
『ああ素晴らしい』という言葉を多くの桜にやるまい、独り占めしようと思って春が行ってしまった後に一人桜が咲いているのだろうか。」
「あはれ」は感動詞。賞賛の気持ちを表している。「やらじ」の「じ」は打消意志の助動詞。「とや」の「や」は、係助詞で疑問を表し、係り結びで、「さくらむ」に掛かる。「さくらむ」の「らむ」は、眼前の事実の原因理由を推量する意を表す助動詞。「さくらむ」に「桜」が物の名式に入れてある。
季節外れの桜への思いである。春への未練を断ち切ったのに、思いがけず夏の中に出現した桜に驚きとためらいを感じる。さて、春として賞賛したらいいのだろうかと戸惑う。そこでこんな屁理屈を言う。自分の感情をもてあましているのである。
春の巻は、例外の春から始まった。暦と季節のずれがテーマであった。何事にも例外がある。それが物事の真の姿である。季節にしても、常に順調に進むわけではない。行きつ戻りつして進んでいく。夏が始まっても、春に行き遅れた桜が咲くこともある。これも季節の実相である。貫之は、その実相への思いを詠んだ歌をここに配置している。
コメント
なるほど。
こんな考え方もありますね。
まだ春は終わってないぞ、遅い桜の私がいるぞ、見て❗️
みたいな。
春が終わりガッカリのところに現れてくれたら確かに嬉しいですね。
でも。。。
あなたは春の人❓夏の人❓
あれ❓
と、たしかに躊躇いますね。
季節遅れに咲く桜、さて、どう思ったらいいのか、ちょっと戸惑いますね。季節と気持ちがずれています。どう調整したらいいのやら。春の巻の歌は、暦と季節のずれ、この歌は、季節と桜のずれ。ずれこそ詩があります。
そうですね、人の作った暦通りに自然がこの日から夏ですよ、とはいきません。人の心も衣替えするようにきっぱりと切り替えられるものではありません。
一般に季節の先取りをしていくのを良しとする傾向にある中、遅れて咲く理由が必要。季節遅れであっても美しく咲いている桜を見つけ、桜の心を推測って歌を詠む。季節外れを見つけてそれでもその美しさに心動かされる詠み手の複雑な気持ちが「ひとりさく」桜の姿と重なり合います。
春に遅れて「ひとりさく」桜は、引け目を感じているかも知れません。何にせよ、遅れるのは良くないことですから。そこで作者は、このように桜を気遣ったのでしょう。お前さんは、賞賛を独り占めしようとしているんだねと。