よしの河のほとりに山ふきのさけりけるをよめる つらゆき
よしのかはきしのやまふきふくかせにそこのかけさへうつろひにけり (124)
吉野河岸の山吹吹く風に底の影さへ移ろひにけり
「吉野河の岸辺に山吹の花が咲いていたのを詠んだ
吉野河の岸辺に咲く山吹の花は、川底に映る影までもが散り続けてしまったことだなあ。」
「さへ」は添加の副助詞。「までも」の意。「移ろひにけり」の「移ろひ」は、動詞「移る」に継続の助動詞「ふ」がついて一語化したもの。(「住まう・住まい」と同じ。)「に」は自然的な完了の助動詞の連用形。「けり」は、そのことに気が付いて詠嘆する意味を表す助動詞。
吉野河は、奈良県の吉野を流れる川。吉野は桜の名所である。ただし、その桜は疾うに散っている。岸辺に目をやると、山吹の花が咲いている。ところが、その花は既に散り始めていた。しかも、川面に映る川底の花影までもが散り続けているのだ。風は、ここでも山吹の花を散らせる悪者である。風は、桜を散らしたばかりでなく、今度は山吹を散らしている。風は、地上の花だけでなく、川底の花までも散らしているのだった。川面には、上からも下からも散った花びらが浮かんでいる。
「吉野」で桜を連想させる。「さへ」で風が桜ばかりでなく山吹までも、さらには、川に映るその影までも散らせたと世界を重層化していく。桜色に山吹色が鮮やかに目に浮かんでくる。物事を一面的・表面的に見ず、時間の経過、反転した世界にまでも思いを馳せる。いかにも貫之的な歌である。
コメント
川岸の光景が美しく描かれているとは思いましたが、吉野河で時空を山にまで持っていくとは思いませんでした。なるほど谷川のほとりの桜まで見えてきます。流れに乗って河原の山吹までひと続きの4次元の空間が広がります。川面の山吹が反転世界をも映し出す。反転世界は河口へと流されて行って、、たった三十一文字で世界が更に、無限に広がっていきます。
「4次元の空間」の意味がよくわかりません。もう少しご説明願えますか?
確かに、この歌は時間と空間を自在に想像させます。
「四次元的」と書くべきでした。二次元は平面、三次元は立体、四次元は三次元に方向が加わって、物理の人たちではこれをモデル化できる人もいるようです。
自分で書いておいて上手く説明できないのですが、貫之が「よしのかは」と詠んだことで今、川のほとりに居ながらにして遥か川を遡った吉野山の桜がそこに姿を現す。その時、山には既に桜の花は無いのに。そして河原では山吹が水の底からも花を散らしている。過去も現在も、天も地も定まらない空間を体感したような気分になりました。そもそも貫之の言葉が千年の時を越えて旅してここにある事も「四次元的」ですね。
なるほど、よくわかりました。大体そう言うことだと思いましたが、やはり伺ってよかったです。