第七十一段    不可思議な心理現象

 名を聞くより、やがて面影はおしはからるる心地するを、見る時は、また、かねて思ひつるままの顔したる人こそなけれ、昔物語を聞きても、この比の人の家の、そこほどにてぞありけんと覚え、人も今見る人の中に思ひよそへらるるは、誰もかく覚ゆるにや。また、如何なる折ぞ、ただいま人の言ふ事も、目に見ゆる物も、わが心のうちも、かかる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。

より:・・・やいなや。・・・途端に。
やがて:すぐに。
また(、かねて):しかし。

「名前を聞くやいなやすぐにその人の顔つきが思い浮かんでくる気持ちがするが、会う時は、しかし、以前思っていたままの顔をしている人はいないのだが、昔の話を聞いても、現在の人の家の、そこら辺であったと思われ、話の中の人物も現在見る人の中に思い比べられるのは、誰もがこう思うのだろうか。また、どういう折であろう、現に今人が言う事も、目に見える物も、自分の心の中で思うことも、このような事がいつだったあったかと思えて、いつとは思い出せないけれど、まさしくあった気持ちがするのは、自分ばかりがこう思うのだろうか。」

名前を聞くとその人の顔つきが直ぐに思い浮かぶ人であっても、実際に会ってみると思ったとおりの顔をしている人はいない。こんな経験をしているにもかかわらず、なぜか昔の物語に出てくる家や人を今の場所や今生きている人になぞらえてしまう。その不思議さを言う。また、今人が言う事も、今目に見えている物も、今自分が思っていることも、昔、既に経験していた気がする。これは、いわゆる既視感(デジャブ)である。その不思議さを言う。
その上で、いずれも他の人はどうなのだろうと疑問を投げかけている。しかし、兼好は恐らく自分だけのことではないとわかっているはずだ。それまでにこの疑問を人に問い掛けたことが無いとは考えにくいからだ。なのに、それを敢えてこう書くのは、読み手に親近感・一体感を持たせたいからだろう。親近感を懐かせることは、説得する上で大いに役に立つからである。

コメント

  1. すいわ より:

    へぇ、昔の人も今と同じような感覚に囚われるのだなぁ、と共感してしまいました。思うツボです。関心を持たせる事に長けてますね。

    • 山川 信一 より:

      兼好は、読者を飽きさせずに読ませることに様々な工夫をしています。この段にはそれがよく表れています。

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