第七十段   臨機応変な対応

 元応の清暑堂の御遊(ぎょゆう)に、玄上(げんしょう)は失せにし比、菊亭大臣(きくていのおとど)、牧馬(ぼくば)を弾じ給ひけるに、座に着きて、先づ柱(じゅう)をさぐられたりければ、ひとつ落ちにけり。御懐(おんふところ)にそくひを持ち給ひたるにて、付けられにければ、神供(じんぐ)の参るほどによく干(ひ)て、ことゆゑなかりけり。物見ける衣被(きぬかづき)の、寄りて放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。

元応:後醍醐天皇の頃の年号。一三一九年。
清暑堂:大内裏豊楽院の構内にある九堂の一つ。
御遊:皇位継承の大嘗会の際の音楽の遊び。
玄上:琵琶の名器。
菊亭大臣:藤原兼孝。琵琶の名手。
牧馬:玄上に並ぶ名器。
柱:琵琶の糸を支える突起。
そくひ:「そくいひ」からの変。飯粒を潰して練った糊。
神供:神へのお供え物。
衣被:貴婦人が外出する時、顔を隠すために、かぶり物として用いる単衣の小袖。ここでは、それを被った女性を指す。

「元応の時、清暑堂での管弦のお遊びに、琵琶は玄上が紛失してしまった頃、菊亭の大臣が牧馬をお弾きあそばされた時に、座について、まず柱を手で確かめたところ、一つ落ちてしまったいた。御懐中に飯粒の糊をお持ちになっていて、その糊でお付けになったので、神供が捧げられる間によく乾いて、何の差し障りもなかった。見物していた衣被の女が、琵琶の傍らに寄ってきて、柱を取り放って、琵琶を元のように置いたと言うことだ。」

菊亭大臣が衣被の女の悪戯に慌てることなく冷静に、そして、柔軟に対応したという話である。それにしても、衣被の女はなぜこんな悪戯をしたのだろう。儀式を混乱させて面白がるためか。菊亭大臣に個人的な恨みがあったからか。またなぜ真相が発覚したのか。そんな疑問を懐かせる。好奇心をかき立てるエピソードである。
では、兼好はなぜこの話を載せたのだろうか。たとえば、次のような教訓を与えるためか。物事にはアクシデントが付きものである。その一つに、悪戯がある。恨みからのものもあれば、愉快犯もある。いずれにせよ、何があってもいいように準備しておき、慌てずに臨機応変に、かつ柔軟に対処するべきだ。それには日頃からの心掛けが重要である。

コメント

  1. すいわ より:

    不測の事態に備えていればこそ対応出来たのですね。いくら琵琶の名手でも、普通はさすがに懐に糊まで忍ばせてはおかないでしょう。玄上、牧馬と言えば名器中の名器、だけれどいわくつき、いつも以上の準備を怠りなくしたのでしょう。悪戯にしてはたちの悪い事をした女、人ならぬものに思えてしまいます。この楽器を手にする時は用心を、とその道の人たちの間では言われていたのかもしれません。

    • 山川 信一 より:

      玄上、牧馬という琵琶の名器。そして、得体の知れない女。奇譚、怪談にもなりそうな場面設定です。
      それなのに、その予想に反して、ご飯粒で柱を貼り付けると俗なオチ。兼好はその落差を面白がっているのかも知れません。

タイトルとURLをコピーしました