《散ってしまえば桜じゃない》

返し なりひらの朝臣

けふこすはあすはゆきとそふりなましきえすはありともはなとみましや   (63)

今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし消えずは有りとも花と見ましや

ずは:仮定を表す。「もし・・・ならば」
まし:反実仮想の助動詞。「もし・・・ならば・・・だろう」

「返し 在原業平
もし今日来なかったら、桜は待てずに明日は雪となって降るように散ってしまっただろう。もし雪のようには消えずに残っていたとしても、誰が散ってしまったものを花と見るだろうか。」

伝えたいのは、「桜は直ぐに散る。だから、当てにならない。当てにならないという意味では、私を忘れずに待っていたと言うあなたも同じだ。」という思いである。相手の皮肉に巧みに切り替えしている。知的な言葉遊びの中に互いの気持ちを確かめ合っているのである。
『伊勢物語』の第十七段は、この歌と前の歌とを組み合わせて書いている。そこでは、在原業平と紀有常と思われる人物のやり取りになっている。男女のやり取りのようにも思えるが、男同士でもあり得る感情なのだ。
貫之は、勅撰和歌集である『古今和歌集』の緊張から解放されて、遊び心を持って『伊勢物語』を書いたのではないだろうか。

 

コメント

  1. すいわ より:

    勅撰和歌集の編纂という大事業、ただ上手い歌ばかりを並べれば良いというものでは無い、パワーバランスも鑑みながら頭を悩ます日々を送っていたことでしょう。そんな中でもこれらのピースを紡いで物語に仕立てる構想を練っていたのではと思うと、大変な中でも楽しむ心を持っていたであろうことが窺われて、歌への愛を感じます。きっと、貫之ですね、『伊勢物語』を編んでくれたのは。

    • 山川 信一 より:

      そう思って読むと、『古今和歌集』を読む楽しみがまた一つ加わってきますね。『古今和歌集』は、勅撰和歌集ですが、お堅いばかりの歌集ではありません。
      遊び心も満載です。そうそう力を働かせて楽しんで読んでいきましょう。

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