歌たてまつれとおほせられし時よみてたてまつれる つらゆき
かすかののわかなつみにやしろたへのそてふりはへてひとのゆくらむ (22)
春日野の若菜摘みにや白妙の袖ふりはへて人の行くらむ
ふりはへて:「ふり」に袖を「振り」と「わざわざ」の意の副詞「ふりはへて」が掛けられている。
らむ:眼前の事実の理由を想像している。
「歌を差し上げろとお命じになった時お詠み申し上げた・・・ 貫之」
春日野の若菜を摘むために真っ白な袖を振りわざわざ人が行くのだろうか。」
女性たちが連れだってわざわざ春日野に若菜摘みに行く。その時の華やいだ様子や気分を表す。万葉の時代から袖を振るのは愛情を示すことであった。若菜摘みの女性たちは、特定の誰に対してと言うよりも、ウキウキした気分のまま袖を振ったのだろう。
貫之は、恋をしたくなるような春の季節感を詠んだのである。その一方で、それは今の自分の気分に通うところがあるとも言いたいのだろう。天皇から歌を求められ、この女性たちのように華やいだ気分になっておりますと。
コメント
楽しげに袖を振り振り春日野へ乙女達が若菜摘みに行く。その様はさながら蝶が花野を舞うようで、、若菜の頃は花咲き乱れるにはまだ早いけれど、わざわざ春日野へ出掛ける彼女らが先ぶれとなってまた一歩春を呼ぶ。天皇に求められ詠んだ歌、心踊る春を描いて歌はまさに贈り物なのだと思いました。
女たちの様子は本当に蝶のようにも見えますね。ただ、当時はその感覚が無かったのでしょう。あれば、貫之は歌にしていたはずです。
歌が贈り物ある、まさにそうですね。この歌にある詞書きの意味を見落とすわけにはいきません。