第十五段 旅について

 いづくにもあれ、しばし旅だちたるこそ、目さむる心地すれ、そのわたり、ここかしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる、都へたよりもとめて文やる。「その事かの事、便宜に、忘るな」など言ひやるこそをかしけれ、さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ、持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ、寺・社などに忍びてこもりたるもをかし。

見ありき:「ありき(く)」は、「・・・しまわる」の意。「文やる」に掛かる。間の「ゐなかびたる所、~ぞ多かる」は挿入句。

「どこにでもいいから、つかの間旅に出るのは、新鮮な感じがするが、そのあたり、このところあのところと見まわり、田舎めいている所、山里などは、たいそう見慣れぬことばかりが多いが、そのことを都へのつてを求めて、手紙をやる、「その事あの事、上手く取り計らい、忘れるな」などと言ってやることこそ面白いが、このようなところであってこそ、自然に万事に心遣いがなされるのだが、持っている小道具まで、よいものはよく見え、能力の有る人、器量のいい人も、いつもよりは魅力的に見えるが、寺や神社に人知れず籠もっているのも心惹かれる。」

話題は、「あらまほしき」旅へと移る。旅にまつわる、ありがちなこと(=「あるある」)を書き連ねている。兼好法師は都会人なのだろう。田舎めいた所が新鮮に感じられてお気に入りだったようだ。旅に出ると、家のことが気になってあれこれ指示したくなると言う。また、旅に出ると一層、それらしさが際立ち、魅力も増すとも言う。なるほど、これらは旅の心理の一つである。それは、日常生活のしがらみから解放されるからであろう。寺や神社に籠もるのも、日常生活からの解放という意味で旅と言えそうだ。
文章は「こそ・・・已然形」の文体の連続である。文を言い切らずに話をどんどん繋いでいく。「手紙をやる、」の「やる」も終止形ではなく、連体形で次の文にかかる感じ。「手紙をやる、つまり、次のように言ってやることが・・・」という風に続いている。どちらも、読み手にあれこれ思わせずに、自分のペースで話を進めたいからだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    口を挟む隙のない文、という事ですね。非日常の鄙びた土地を好ましく思ってはいるようですが、暮らせるかというとそうではなさそう。旅先からあれこれ指図するあたり、都との関わりを捨てきれない様子。遊園地にでも行くような感覚でしょうか。「よきはよく」、比較対象が少ないから、その良さを冷静に判断出来るのかもしれません。

    • 山川 信一 より:

      旅に出ても、日常生活のしがらみは、断ち切りがたいと言うのでしょう。そんな心理もそれはそれで旅ならではのものだと、認めています。心の広さを示しているのでしょう。
      その人のことを知りたかったら、一緒に旅をするといいと言いますね。そう考えると「成田離婚」も頷けます。

タイトルとURLをコピーしました