九日のつとめておほみなとよりなはのとまりをおはむとてこぎいでにけり。これかれたがひにくにのさかひのうちはとてみおくりにくるひとあまたがなかにふぢはらのときざね、たちばなのすゑひら、はせべのゆきまさらなむみたちよりいでたうびしひよりここかしこにおひくる。このひとびとぞこころざしあるひとなりける。このひとびとのふかきこころざしはこのうみにはおとらざるべし。これよりいまはこぎはなれてゆく。これをみおくらむとてぞこのひとどもはおひきける。かくてこぎゆくまにまにうみのほとりにとまれるひともとほくなりぬ。ふねのひともみえずなりぬ。きしにもいふことあるべし、ふねにもおもふことあれどかひなし。かゝれどこのうたをひとりごとにしてやみぬ。
「おもひやるこころはうみをわたれどもふみしなければしらずやあるらむ」。
九日のつとめて大湊より那波の泊を追はむとて漕ぎ出でにけり。これかれ互に國の境の内はとて見送りに来る人數多が中に藤原時実、橘季衡、長谷部行政等なむ御館より出でたうびし日より此所彼所に追ひ来る。この人々ぞ志ある人なりける。この人々の深き志はこの海には劣らざるべし。これより今は漕ぎ離れて往く。これを見送らむとてぞこの人どもは追ひ来ける。かくて漕ぎ行くまにまに海の辺に留まれる人も遠くなりぬ。船の人も見えずなりぬ。岸にも言ふ事あるべし、船にも思ふこと有れど甲斐無し。かゝれどこの歌を独言にして止みぬ。
「思ひやる心は海を渡れども文しなければ知らずやあるらむ」。
たがひに:かわるがわる。交互に。
みたちよりいでたうびしひ:国司の館から出発された日。書き手は、旧国司に敬語を使っている。
まにまに:ままに。つれて。
ふねのひともみえずなりぬ:陸に留まる人の視点から言う。
問「このひとびとぞこころざしあるひとなりける」とあるが、なぜそう思うのか、答えなさい。
問「おもひやるこころはうみをわたれどもふみしなければしらずやあるらむ」の歌意を答えなさい。
コメント
問一 土佐の海沿いの港に泊まり泊まりしながらここまで来たわけだけれど、いよいよ大海原への出航になって土地の人ともこれで最後のお別れ、どの港でもかわるがわる送別の客はあったけれど、中でも時実達はどの停泊地にも赴いてくれた。領地内ではあるのだろうけれど、気持ちがなければなかなか出来ることではないので感謝している。
問二 「岸にいる人も船上の人も遠ざかるにつれ互いの姿が見えなくなっていく。残して来た土地の人達を思う気持ちは海を越えて渡っていくだろうが、海上で文を出すことすら出来ない私の本当の気持ちを岸の人たちはわからないのだろうな。」行かないで、という呼び掛けに留まりたくとも留まる選択肢が無く、ただ別れの言葉しか口にできない。海を文(踏み)渡ることが出来ない。船の櫂は「かい」で「かひ」ではないけれど、船なのにカイが無くて海を渡ることが出来ない。
時実への初めの頃の誤解はすっかり解けたようですね。誤解が解けていくことを描くのはリアリティがありますね。
自分をここまで慕ってくれた人たちとの別れは辛いものです。恐らく今生の別れなのですから。海を隔てた別れであれば尚更のこと。
この歌は、そんな特殊な場面と思いとを歌っています。