元日、なほおなじとまりなり。白散をあるものよのまとてふなやかたにさしはさめりければ、かぜにふきならさせてうみにいれてえのまずなりぬ。いもしあらめもはがためもなし。かやうのものもなきくになり。もとめもおかず。ただおしあゆのくちをのみぞすふ。このすふひとびとのくちをおしあゆもしおもふやうあらむや。けふはみやこのみぞおもひやらるゝ。こへのかどのしりくべなはのなよしのかしらひゝらぎらいかにとぞいひあへる。
元日、なほ同じ泊まりなり。白散を或る者夜の間とて舟屋形に差し挟めりければ、風に吹き鳴らさせて海に入れてえ飮まずなりぬ。芋茎、荒布も齒固めもなし。かやうの物も無き國なり。求めも置かず。唯押鮎の口をのみぞ吸ふ。この吸ふ人々の口を押鮎、もし、思ふやうあらむや。今日は都のみぞ思ひやらるゝ。「小家の門の注連縄の名善の頭、柊らいかに」とぞ言ひ合へる。
風に吹き鳴らさせて海に入れて:「(風に吹き鳴ら)させて」「(海に)入れて」という言い方に、せっかく貰ったのに、或る者が余計なことをしたために飲めなくなってしまったことへの腹立ちの思いが込められている。
芋茎、荒布も齒固め:いずれも正月に食べて長寿を願う物。
求めも置かず:よそからの取り寄せもしていない。
押鮎、もし、思ふやうあらむや:押鮎は、食べないで口だけ吸っている理由をもしや理解していているだろうか(していないよね)。
注連縄の名善の頭、柊:「名善」は魚のボラ。どちらも正月に飾る縁起物。
問 なぜ押鮎を食べないで、口だけ吸っているのか答えなさい。
コメント
今回もわからない事だらけです。白散は薬酒に入れる薬のようなものですよね。海の神に捧げようとばかりに持ち出して薬酒を飲み尽くしてしまったのか?(だとしたら腹立たしいでしょう)
一般的にお正月に用意される縁起物の食べ物の用意がない。「芋茎、荒布、歯固め」が無い地方?芋茎はおそらく乾物だから貯蔵出来るものだし、荒布は海藻ですよね、歯固めはスルメとか牛蒡とか?何れも海の近そうな所だから手に入らないという事は無さそうですよね。物が無いというより、そうした物を正月に食する習慣がその地方には無いので用意することを敢えてしなかったのか?
押鮎が用意されているという事は京へ向かう船旅の途中で正月を迎えることは分かっているのですよね?分かっていて京風の正月の支度を揃えなかったのか?
京のことばかり思わずにいられず、「我が家の正月のしつらえはどうなっているだろう。」と話し合った。ここもよくわかりません。
正月支度に必要な物、分かっていてわざと手を抜いたのだとすると、、
問 正月料理は押鮎しかない、口にするのは勿体ない→口惜しい→悔しい
支度に手を抜かれて軽んじられて悔しい?
鯔の頭に柊、節分の鰯の頭に柊みたいですね。
白散を舟屋形に差し挟んだのは、ボラの頭や柊を門に飾るのと同じ意味合いではないでしょうか?「海の神に捧げよう」としたのかもしれません。それが風に吹かれて、海に沈んでしまったのです。屠蘇の方は大丈夫だったようです。正月に食べる縁起物がないのは、引っ越しの忙しさにかまけて用意できなかったのでしょう。歯固めは、餅や乾燥野菜、乾燥肉などのようです。それを食べる習慣がない国なので、お届け物もありませんでした。
新しい年になって、気持ちはこの土地から離れ、すっかり京に移ってしまいました。その気持ちを表しています。「京にいたらなあ。京だったらなあ。」と、京への思いは募るばかりです。