(といひけるあひだに)かこのさきといふところにかみのはらからまたことひとこれかれさけなにともておひきて、いそにおりゐてわかれがたきことをいふ。かみのたちのひとびとのなかにこのきたるひとびとぞこころあるやうにはいはれほのめく。かくわかれかたくいひて、かのひとびとのくちあみももろもちにてこのうみにてにひいだせるうた、
をしとおもふひとやとまるとあしがものうちむれてこそわれはきにけれ
といひてありければ、いといたくめでゝゆくひとのよめりける、
さをさせどそこひもしらぬわたつみのふかきこゝろをきみにみるかな
ここに書かれているのは、帰る旧国司と心ある人々との交流である。守の館の人々の中に、鹿児の崎というところまで舟を追いかけてきた人たちがいた。舟は海岸沿いをゆっくり進んでいたので、それを馬にでも乗って来たのだ。この人たちこそ、本当に真心のある人だと感動している。これは「亡き子」が何をたとえているかの種明かしにもなっている。
「われ」と一人称で言っていることに注意。群れてきてはいるけれど、一人一人が自らの意志で来たと言うのである。(「うちら」などと言って責任の所在を曖昧にする言い方ではない。)思いのこもったいい歌である。旧国司がどれほど慕われていたかがわかる。
「きみ」と答えたのは、その思いを受け取り、一人一人に答えているからである。「ゆくひと」(=旧国司)の感激が伝わってくる。これほど嬉しいこともそうはないだろう。自分のしてきた仕事が評価されたのだから。この地に心惹かれながらの帰京なのである。
海の関連する言葉「磯」「口網」「荷引い出す」「鴛鴦」「葦鴨」「棹」「わたつみ」を巧みに用いている。味わい深い名文である。
コメント
千年の時を超えて気持ちを共有できた時の感動、古典を読む喜びを感じられる回でした。旧国司、報われて良かったです。
何よりでした。「気持ちの共感」こそが言葉を読む喜びですね。
ここの文章からは、旧国司(=貫之)の喜びが伝わってきました。