生きもののさだめ

どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然《ぼうぜん》とした。そうして懼《おそ》れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判《わか》らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直《す》ぐに死を想《おも》うた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎《うさぎ》が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗《まみ》れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。

 春菜先輩に戻った。李徴の告白は続く。
「夢じゃないことがわかって、茫然としつつ懼れたんだね。ここで「懼」という漢字が使ってあるよね。純子、なぜだかわかるかな?」
「普通は「恐」という漢字を使います。それを「懼」を使うことで、異常に怖くなくて不安になったという気持ちを表しているのではないですか?「恐」で表せないおそろしさを言っているんだと思います。」
「そうだね。経験したことの無いおそろしさだったんだね。そして、その理由がわからないと言う。「分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。」しかも、「理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」と言う。みんな、ここからどんなことがわかる?」
「確かにその通りだよね。あたしがなんでここに居るのか、理由を言えと言われても困るもの。なぜロココ調のフランスに生まれなかったのかと思っても答えは出ない。あっ、これは、昨日深キョンの『下妻物語』を観たからなんだ。」
「あんたもロリータファッションが好きだからね。でもさ、それが真実だとしても、問題は、李徴がなぜここでそれを言うかなんだよ。」
「あっ、そうか!これは「我々生きもののさだめ」であって、自分だけじゃないって一般化したいんだ。確かにそう言われたら、反論できないからね。自分の責任を回避したいんだね。」
「そう、自分の問題を「生きもの」一般の問題にすり替えたんだ。」
「「自分は直ぐに死を想うた。」とあるね。これはどう思う?」
「自然な思いだね。本当にそう思ったんだろうね。共感はできる。」
「でも、結局は死ねなかったんだよね。ここは、一応そう思ったってことが言いたいんだよ。自分では、けじめをつけようとしたってことが言いたいんだ。」
「原文では「人間」という言葉に傍点がふってあるよね。なぜ?」
「「さだめ」にも振ってあったけど、あれは単に強調するためだと思う。それに対して、「人間」は人間性とか、理性とか、人間特有の精神という限定された意味で使ってあるからじゃないのかな?」
 李徴は、虎としての自分をコントロールできないんだね。李徴は、袁傪の同情を買うように話している。だから、読者であるあたしも段々李徴に同情してきた。誠先生のアドバイスが思い出される。李徴に騙されないようにしよう。

コメント

  1. すいわ より:

    「分からぬ。全く何事も我々には‥」「我々」?「私」でなく?李徴さん、あなたの事を話していたのではありませんか?と思いました。「我々」として一般化して問題のすり替えを図ったのですね。なるほど。「人間」の傍点については納得できたのですが、「さだめ」は単なる強調には思えませんでした。これが「運命」と書かれていたのなら、抗い難い、有無を言わさず受け入れざるを得ないもの、とそのまま読み進めたと思うのですが、「さだめ」と書かれた事で、決まりなり、人生の選択肢なりを「さだめる側」とそれに「従わされる側」を思い描いてしまいました。李徴は自分の意志でエリートコースを歩いて来たつもりでいるのでしょうけれど、世間の評価を意識してそれらはなされて来たように思うのです。だから一般的には当然、こうするよね、といった世間の漠然とした価値観に逃げ場を作ったのではないかと思いました。それにしても、獣に変身しても狩られる側でなく、狩る側。力関係の上位位置にいる所がまた皮肉なものです。

    • 山川 信一 より:

      虎は「狷介、自ら恃むところ頗る厚く」孤独に生きる李徴に相応しい姿と言えそうです。
      しかし、一方で李徴は、ご指摘のように、世間の評価を意識し、自分以外の何かに「逃げ場」(「さだめ」だったり「世間の漠然とした価値観」だったり)を作るずるく卑怯な面もあります。
      李徴は虎になってしまったことを嘆きつつ、それをずるく卑怯な面を隠すために利用しています。

  2. らん より:

    虎となって呆然としているところ。自分に置き換えて想像しています。
    呆然として怖くなり死にたくなりますよね。

    確かに、私もなんで今ここに居て人間として生きているのか理由はわかりません。同じことを李徴は想ったのですね。
    兎を食べちゃいました。完全に虎ですね。そういうところは虎だけど、心は虎なのかな。だって、友達を襲ったときあぶないところだったって想ってくれたから。

    • 山川 信一 より:

      虎となった李徴の心がどういうものなのかは、次に具体的に語られます。
      李徴は聞き手の共感を巧みに引き出そうとしています。誰だって、なぜ自分がここに生きているのかがわかる人などいないのですから。
      李徴に共感するということは、その人の心の中にも李徴がいるということです。

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