「きっと、そうか。」
老婆の話が完ると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「では、己が引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
若葉先輩の番だ。ここは下人の心理がかなり微妙だ。正確に辿っていこう。
「なぜ下人は「念を押した」の?このことから何がわかる?」
「下人の自信の無さの表れ。引剥をしようと思うなら、断ることなくささっとすればいい。なのに、わざわざ相手の承諾を得ようとしている。相手が納得しなきゃ、できないんだ。」
「何だかバカみたいだね。」
「嘲るような声を出した理由は何か?」
「老婆が自分の論理で引剥をされることになるので、「お前は墓穴を掘ったんだぞ」とあざ笑っているから。」
「いや違う。それなら〈嘲って〉と言うはずだ。ここは、「嘲るような」と言っている。その理由は、それがポーズに過ぎないからだ。下人は、本当は嘲ってなんかいない。老婆にそう思っていると思わせることで、下人の行為を受け入れさせるためなんだよ。だから、この嘲りはポーズにすぎない。」
「そこまで気を遣うんだ!」
「「不意に右の手を面皰から離して」から、どんなことがわかる?」
「下人の心が決まったこと。なぜなら、面皰は迷う心の象徴だから。」
「下人はなぜ「老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。」の?」
「お前はお前の論理で引剥をされるんだと確認を取っている。だから、俺のすることも悪くないし、お前は恨むことができないんだと老婆に納得させるため。」
「念を押した理由と同じで、下人は相手の承諾を得なければ、何事もできないからね。」
「それくらい相手の反応を気にしているんだ。裏返して言えば、自分の行為に自信が持てないんだ。」
「だから、虚勢を張っているんだね。つまり、老婆を納得させるために、悪人のふりをしている、と言うよりせざるを得ないんだ。」
ここは、ダメ押しのように、すごく下人らしさがよく表れている。すべてが演技なんだ。もっとも、下人の中では恐らく本気と演技の区別は意識されていないだろうけど。
コメント
これまでも、それぞれの場に応じて猫のように守宮のようにと様子を変えて来た下人。今度は盗人。老婆の理屈が自分が「盗人のように」振る舞う理由として好都合だったのですね。俺は悪人じゃない、生きる為に盗人のような真似をするのは仕方がない、婆さんそう言ったよな、婆さんも承知の上だ。だからお前から引剥しても、お前は当然、納得してくれるよな?、、結局、自分の行為の責任を引き受けられないのですね。
一行目の「きっと、そうか。」、きっとって何?と今日は最初からつまずきました。老婆に、言ったことを違えるな、という強い要請ととらえれば良いですか?
「きっと、そうか。」は、老婆が言った言葉の意味を確認しているのです。意味とは、「せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろう。」の主旨を指します。それを確認しています。〈それなら、おなえも俺に引剥されても、俺を大目に見なければならない。〉とこう言いたいのです。
この場面で大事なのは、下人が「嘲るような声で念を押した」こと、「噛みつくようにこう云った」ことです。そこが肝心のところです。