バスが来ると、父親は右手でこちらの頭をわしづかみにして、
「んだら、ちゃんと留守してれな。」
と揺さぶった。それが、いつもより少し手荒くて、それで頭が混乱した。んだら、さいなら、と言うつもりで、うっかり、
「えんびフライ。」
と言ってしまった。
バスの乗り口の方へ歩きかけていた父親は、ちょっと驚いたように立ち止まって、苦笑いした。
「わかってらぁに。また買ってくるすけ……。」
父親は、まだ何か言いたげだったが、男車掌が降りてきて道端に痰を吐いてから、
「はい、お早くう。」
と言った。
父親は、何も言わずに、片手でハンチングを上から押さえてバスの中へ駆け込んでいった。
「はい、発車あ。」
と、野太い声で車掌が言った。
「父親が息子の頭をわしづかみにして揺さぶったのは、動作で気持ちを表したのね。」
「ところが、それで息子は頭が混乱しちゃう。思ってもいない言葉が口から出てしまう。それが「えんびフライ」。」
「こんな混乱が起こったのは、言うべき言葉と言いたい思いとが違っていたからね。こういうことってあるわね。」
「えびフライが今回の帰省で一番の思い出だったからですね。」
「父親が「ちょっと驚いたように立ち止まって、苦笑いした」とあるけど、なぜ?」
「まさか、それほど喜んでもらえるとは思っていなかったからだよ。」
「意外だったんだ。でも、なぜ?」
「恐らく、えびフライは急に帰省できることになって、思いつきで買ってきたものなんじゃない。盆土産をそれぞれに選んでいる時間も無かったし、それを買う経済的余裕もなかったから。言い方は悪いけど、誤魔化しだったんじゃないかな。だから、どこかに後ろめたさ、すまないって気持ちがあったんだと思う。わざわざ速達を出したものそれを隠すため。それなのに、こんなに喜んでもらえることが意外だった。怪我の功名ってとこ?だから苦笑いしたんだよ。」
「「父親は、まだ何か言いたげだった」とあるけど、何が言いたかったんだろう?」
「言い訳とか、今度はもっといいものを買ってくるからなとかですか?言いたいことは山ほどありそう。」
「でも、それも男車掌に遮られる。「道端に痰を吐いて」がリアル。」
「作者はなぜ「片手でハンチングを上から押さえ」という動作を書いたのだろう?「何も言わずに」だけじゃなくて・・・。」
「谷風が吹いてきたことを伝えているよね。細部を描くことでリアリティを出すためじゃない?」
「それもあるけど、何か含みがあるような気がする。薄い空色のハンチングは東京の象徴だから。」
「じゃあ、ここから父親が都会の人になってしまったとか。」
「そうね。そんな感じがする。」
「とうとう父親は本心を明かさなかった。この動作は、心を隠すことを暗示しているんじゃない?すべてを飲み込んで東京に向かったことを。」
「「野太い声で車掌が言った。」ってあるけど、さっきの痰と共に「野太い」が別れの場面に似つかわしくない。情け容赦なく感傷をぶち壊している。これは、個人の感傷など許さない冷酷な現実の象徴なのね。」
「なんともせつない幕切れだなあ。出稼ぎの現実を描いた作品なのね。」
これぞ文学という作品だった。派手な事件が起こるわけじゃない。普段気にとめないような小さな出来事を、派手な技巧もなく正確な描写で描いている。それでいて、歴史に埋もれた人間の現実を明らかにしている。文学の役割とは何かを教えてくれる作品だった。
コメント
きっと、お父さんは東京で大変な思いで働いているのでしょう。でも、家族に心配の種を残して去ることだけはしたくない。手荒い別れの挨拶、男同士だから出来ること、娘にはこれは出来ませんね。将来、お前にもこんな辛い働きをさせることになるのだろうかとお父さんは思ったかもしれません。似合わないハンチングを無理やり頭に被せ、気持ちを隠して。「お父さん、さよなら」「お父さん、行かないで」と言われたら、弱音を吐いてしまったかもしれない。涙がこぼれたかもしれない。期せずして語り手から発せられた「えんびフライ」、お父さんから帰ってくる約束の言葉を引き出しました。
車掌の無情な態度がかえって親子の情愛の深さを際立たせます。平凡な日常の中にこそ、ドラマは存在するのですね。
先生の仰る「言葉は心の器」という事を堪能できた小説でした。
日本語の言語表現には、様々な形があります。散文と韻文。散文でも、論文と芸術文。扱う内容によって、それぞれ特色があります。
三浦哲郎をいう作家は、小説の表現を究めているように思いました。気負わず気取らず淡々とこれしか無いと思われる表現を捕まえていきます。
だから、読者の心に静かにじんわりと思いが伝わっていきます。こんな文章を書きたいものです。
この作品も最後までお付き合いくださりありがとうございました。次回は、『羅生門』でお会いしましょう。
先生、とてもいい小説でした。父親は最後まで本心をあかしませんでしたね。
エビフライをみんながこんなに喜んでくれたことは、意外だったのかもしれないと私も思いました。時間がなくて、粋な東京土産が買えなくて、そこでエビフライを思いついたのかもと。
出る言葉出る言葉、みんなえんびフライ。合言葉みたいになってました。
こんなにみんなに喜んでもらえて、お父さん、嬉しかったですね。
お父さんがハンチングを手で押さえて、言葉を飲み込んで東京に帰っていく姿、切なかったです。みんなにお金を送るため、出稼ぎいくしかないですものね。一家の大黒柱として、弱音をはいたり、本当はみんなのそばにいたいんだよ、なんて言えないところが辛いです。子供達も、寂しい本音をお父さんにぶつけたりしません。
帰省の1日半はほんとに幸せな時間でした。
先生、羅生門も楽しみにしています。
最後まで読んでくれてありがとうございます。こういう〈地味〉な小説は、普段なかなか読みませんよね。普段読書の習慣がある人でも、筋の面白い小説に目が行きがちです。
だから、たまにはこういう書き込まれた小説を味わうことは有意義です。言葉のセンスが磨かれます。
別れの場面では、父親と息子の心情が描写を通してよく描かれていましたね。切なさ、辛さが伝わってきました。対照的に幸せな時間が浮かび上がってきました。
次回からは、高校教材で扱われる作品になります。部員も学年が上がります。一緒に読んでいってください。