それぞれの思い

 祖母は、墓地へ登る坂道の途中から絶え間なく念仏を唱えていたが、祖母の南無阿弥陀仏は、いつも『なまん、だあうち』というふうに聞こえる。ところが、墓の前にしゃがんで迎え火に松の根をくべ足していたとき、祖母の『なまん、だあうち』の合間に、ふと、
「えんびフライ……。」
という言葉が混じるのを聞いた。
 祖母は歯がないから、言葉はたいがい不明瞭だが、そのときは確かに、えびフライではなくえんびフライという言葉をもらしたのだ。
 祖母は昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽがのどにつかえたことは抜きにして)祖父と母親に報告しているのだろうかと思った。そういえば、祖父や母親は生きているうちに、えびのフライなど食ったことがあったろうか。祖父のことは知らないが、まだ田畑を作っているころに早死にした母親は、あんなにうまいものは一度も食わずに死んだのではなかろうか――そんなことを考えているうちに、なんとなく墓を上目でしか見られなくなった。父親は、少し離れたがけっぷちに腰を下ろして、黙ってたばこをふかしていた。

「お墓は小高い丘の上にあるのね。きっと、ご先祖様に村を見守ってもらえるようにって。」
「おばあさんは、念仏の合間に「えんびフライ」と口にした。本文にもあるように亡くなった祖父と母親に報告したんだね。」
「「そのときは確かに、えびフライではなくえんびフライという言葉をもらしたのだ。」書いてあるのはなぜ?おばあさんだから、当然「えび」をちゃんと発音できないわ。なのに、殊更なんでそれを書くの?」
「語り手が自分だけちゃんと発音できないわけじゃないって言いたいからかな?」
「そこまで拘るかな?あれは単なるえびフライじゃなくて、「えんびフライ」だったんだって思ったからじゃない。」
「そうね。つまり、自分たち家族にとって特別のものだったんだって思ったのね。」
「祖父が生きていた頃はまさに三ちゃん農業をしていたんだよね。この家族は典型的なそういう家族だったんだ。でも、今は父親の収入だけに頼って暮らしている。家計は苦しいだろうな。」
「母親は早死にしたってあるけど、語り手が何歳くらいの頃に亡くなったのかな?語り手は今九歳くらいだよね。」
「母親のことを覚えているようだから、物心ついてからですよね。すると、亡くなってから三,四年ってとこかな。」
「生きている母親を覚えているから、母親があんなにうまいものを一度も食べずに死んだのではないかと思えたのね。」
「「なんとなく墓を上目でしか見られなくなった」のは、自分たちばかりがうまいものを食べて申し訳ない、後ろめたいって気持ちからだね。」
「お母さんは、きっと苦労ばかりして死んでいったんだよ。語り手は、健全な思いやりの心を持っているなあ。真っ直ぐに育っているんだね。」
「父親のこの態度をどう思う?別に間接喫煙を気にしているわけじゃないよね。なんで離れているんだろう。何を考えているんだろう?」
「もちろん自分はお参りをした後のことだから、家族が母親と話をするのを邪魔しないようにするためかな?」
「それもあるけど、父親は父親で亡くなった妻のことを思っていたんじゃないかな。妻と話をしていたんだよ。その顔を見られたくなかったんだよ。」
「父親は自分心をずっと隠しているみたい。それが家族への思いやりだと思っているのよ。きっとつらい胸の内を妻だけには話していたんじゃないかしら。」
「ところで、この場面に姉の様子が描かれていないね。なぜかな?」
「この時の語り手の関心は姉にはなかったからだよ。」
 小説では、何を書いて、何を省くかが大事だ。何もかも同じように書いたら、肝心のことの印象が薄くなってしまう。また、気持ちなどは書けない。書けば、帰って伝えたい気持ちから離れてしまう。だから、その大本を描写する意外にない。

コメント

  1. すいわ より:

    祖父、嫁に報告するように祖母の口から溢れた「えんびフライ」の言葉、正体の知れない「えびフライ」ではなく、食べて自分の身となって祖母の中で「えんびフライ」になったのですね。語り手は自分だけでなく祖母も口に出して言う程、えびフライが美味しかったのだと思ったのではないでしょうか。そんなに美味しいえびフライを母は口にした事がない。もし、食べた事があるなら、自分にも食べさせようとしただろうし、生きていて一緒に食べられたならと思うと堪らない気持ちになった事でしょう。子供が美味しいものを食べて済まない気持ちになっている、姉もきっと同じ気持ちなら、その姿を語り手は見ないようにしたかも知れません。お父さんはお父さんで心の中で妻に弱音を吐いていたかも知れない、弱い自分を家族に見せたくなくて、離れたところにいたのでしょうね。皆、思いやりに溢れています。

    • 山川 信一 より:

      そうですね、祖母にもえびフライが何なのかはっきりわかったのでしょう。その思いが「えんびフライ」になったのでしょう。世界でただ一つのえびフライが「えんびフライ」です。
      姉は本来控えめな性格なのでしょう。家族団欒の中ですっと気配を消している気がします。父親は妻と何を話しているのでしょう?
      「家族に寂しい思いをさせてすまない。」とでも謝っているのでしょうか?

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