メロスの態度が変わる

「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」と暴君は、嗄れた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」


 今日は美鈴の番だ。また変なことを言わないといいんだけど。だって、今日は橿村コーチが来てるんだから。
「じゃあ、始めるね。今日はこの班にコーチが来てくれました。少し緊張するけど、頑張ろうね。」と真登香班長が声を掛けた。橿村コーチはちょっと笑った。美鈴が話し始める。
「ここでメロスの態度が急に変わります。それまで王と対等にやり合っていたけど、急に低姿勢になります。敬語が使われ出します。それはお願い事があるからです。自分はここでも死んでいいけれども、その前にしなくてはならないことを思い出します。そんな大事なことを忘れて、一時の感情で王を殺しに来たメロスは、おっちょこちょいな人です。よく考えないで行動するからこういうことになるんです。単純と言うよりバカ丸出しです。何で大事な妹の結婚式を忘れてこんな行動に出たのか、信じられません。今さら処刑を三日延ばしてくれと言っても、この王じゃなくても受け入れられませんよね。おまけに、その願いを受け入れてもらうために、勝手に幼馴染みのセリヌンティウスを人質にすることを申し出るんです。本人の許可もなしにです。それも、自分が帰ってこなかったら絞め殺してくださいとまで言います。それにセリヌンティウスを「あれ」と言っています。「あれ」ですよ。本当に自己本位で自分勝手な男です。わたしは、メロスが嫌いです。メロスの親友じゃなくて良かったです。これまでよく生きてこられたと思います。よほど村は平和だったんですね。えーと、表現の工夫は、さっき言った、メロスの言葉遣いが変わったことです。敬語でメロスの気持ちの変化を表しています。」
「しっかり考えてきたわね。美鈴はメロスに対して厳しいね。でも、その通りね。メロスを弁護しにくいなあ。」と真登香班長が言った。
「確かに現実にメロスみたいな人がいたら困るな。先のことをよく考えないで、後になって後悔する。こういうことってあたしにもあるけど、さすがにここまでではないと思う。メロスは現実離れした人物です。こんな大人はいません、・・・普通。その意味では、嘘くさいかな。この小説は作り物っぽい。ドラマ作りのために、現実にはあり得ない人物設定をしている気がします。こんなおっちょこちょいに読者がつきあわせれるのは迷惑だな。これは小説と言うよりお伽噺って感じ。ドラマの設定が不自然すぎます。」とあたしは思っていることを一気に話した。
「もっともだけどさ、あたしはメロスに同情するところがあるな。先のことを考えないでやってしまって後悔することがよくあるからね。その時は、夢中になってしまって・・・。そんな時、あたしは自分が子どもだなあって思うよ。」と若葉先輩が何かを思い出したように言った。その時、橿村コーチが口を開いた。
「桐野さんの発表はなかなか良かったわ。メロスの人物像をよく捉えているわよ。武井さんの思いもよくわかる。ただ、島田さんの指摘は少し考えてみる余地があるわね。武井さんは自分が「子どもだ」て言ったけど、まさにメロスは子どもなの。いわば、子ども大人。エーミールと対照的な人物ね。チルドレンアダルトとでも言えばいいのかしら。島田さんは「こんな大人はいません」と言ったけど、こういう否定は証明できないわ。一人でもいたら、崩れてしまうもの。メロスは、大人になりきれない子どもを描いているんだわ。その男がどう現実にどう立ち向かうかをね。」
 なるほどそうなのかも。『少年の日の思い出』では、アダルトチルドレンのエーミールが出て来たけれど、ここでは子どもがそのまま大人になった人物が主役、それがメロスなのね。だから、あたしも否定しながらもどこかで惹かれてしまうところがある。それはあたしの子どもの部分が反応するのかな?すると、テーマは〈子ども対大人〉ってこと?

コメント

  1. すいわ より:

    美鈴さん「バカ丸出し」のメロスにお怒りですね。確かに常識的に考えたらやっている事、行き当たりばったりでめちゃくちゃです。「…私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。」ここも友人を「あれ」扱いしてますが、口調からすると、ここは内省的で、メロス的には自分の命をかけるに値する大切なものを考えた時に揺るぎない最上位が「セリヌンティウス」だったのでしょう。セリヌンティウスにしてみたら迷惑極まりない限りだけれど、絶対の信頼を寄せている。と言うよりもお互いがその一部のようなものだと信じて疑わないのでしょう。自分の心臓は置いていけないけれど、証を立てるために置いていけるもの。愚かとも取れる、メロスの提案、信念を貫く事が出来るのか。それ以前にメロスと同等の信頼をセリヌンティウスは抱いてくれているのか。
    エマソンの「Self reliance」という評論を思い出しました。

    • 山川 信一 より:

      メロスは自分が思い描くことが正しいならば、人もそれを正しいと思うはずだと信じて疑いません。まさに自己をどこまでも信頼しています。
      現代っ子は、そのあたりシビアです。メロスの「Self reliance」に共感する人は少なそうです。しかし、それはそれで正しい。メロスの人間観がまかり通る方が危険とも言えます。
      自分を勝手に信頼されても困りますよね。それが違うと思っても、それに合わせなくてはならなくなってしまうから。
      だけど、セリヌンティウスはメロスが好きなんでしょう。だから許したのです。「しょうがないヤツだな。」と。

  2. らん より:

    私、美鈴ちゃん、大好きです(^ ^)
    面白くて、プププと笑ってしまいました。
    確かに、「あれ」呼ばわりはないですよねえ。
    よほど村は平和だったんですねえにも笑ってしまいました。
    素直でいいですねえ。
    島田さんがコーチに指摘されていて、それを謙虚に受け止めている姿が素敵だなあと思いました。

    • 山川 信一 より:

      楽しく読んでくれてありがとうございます。美鈴はまだまだ子どもなのです。だから、『裸の王様』の子どもみたいに自分の気持ちに正直です。ただし、現代っ子なので、物事をかなり現金に考える傾向があります。
      美奈子は、自分の考えが甘かったことを認めた時は、素直に受け入れますね。

  3. なつはよる より:

    私も、「単純というよりバカ丸出しです。」のあたり、大笑いしながら読みました。でも、そこがメロスのいいところなのでは?と思います。

    • 山川 信一 より:

      メロスは、バカ丸出しだけど、憎めない人物ですね。生徒から「先生は、メロスに似ていますね。」と言われると複雑な思いがしたものでした。

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