せめて例のちょうを見たいと、僕は中に入った。そしてすぐに、エーミールが収集をしまっている二つの大きな箱を手に取った。どちらの箱にも見つからなかったが、やがて、そのちょうはまだ展翅板に載っているかもしれないと思いついた。はたしてそこにあった。とび色のビロードの羽を細長い紙きれではり伸ばされて、クジャクヤママユは展翅板に留められていた。僕は、その上にかがんで、毛の生えた赤茶色の触角や、優雅で、果てしなく微妙な色をした羽の縁や、下羽の内側の縁にある細い羊毛のような毛などを、残らず間近から眺めた。あいにく、あの有名な斑点だけは見られなかった。細長い紙きれの下になっていたのだ。
「「せめて」と言うのは、最小限これだけは実現してほしいという意味を表す副詞ね。」と明美班長が教えてくれる。でも、これはわかってた。
「つまり、「せめて・・・だけでも」という気持ちから部屋に入ったんだね。それが少しずつ大胆になっていく。一度たがが外れるとずるずる行くもんだよね。」と若葉先輩が言う。何か心当たりでもあるかのように。あたしにもありそう、「せめて」が「せめて」じゃなくなるんだよね。
「エーミールが収集をしまったいる箱がどこにあるか直ぐにわかったのは、きっと何度か来たことがあるんだよ。でも、例のコムラサキの事件の前だよね。」と真登香先輩。そうだよね、あれ以来ちょうを見せてないもの。
「ちょうは、まだ標本になっていないで、展翅板にあったんですね。」とあたし。
「「僕」のちょうの観察が細かいわね。「優雅で、果てしなく微妙な色」ってどんな色なの?それも羽の縁まで見てるわ。さらに、下羽の内側の縁も見逃していないわね。」と明美班長が指摘した。
「よほど関心がなくちゃ、ここまでは見ないですね。」とあたし。
「それどころか、これを語っている友人は何十年前に見たのをこれほど鮮明に覚えているんことに驚くわ。これは、友人が語っている話なんだから。」と明美班長が言う。
「そうだった!」とあたし。
「それにしても、また悲劇を生む偶然が重なるんだ。一番見たかった斑点が展翅板の紙切れのせいで隠れてしまってる。」と若葉先輩が話を進めた。
「「僕」にとって、皮肉な偶然が重なるね。あってはならない偶然が重なってしまう。」と真登香先輩が応じる。
「人生は〈もし・・・じゃなかったら〉の連続ね。「僕」もその中を生きているのよ。」と明美先輩が何かを思い出したように言った。どんな経験があるんだろう?
少しずつ、してはならないことをしていく。こういう心理わかるなあ。ただ、物事には、やるかやらないかのどちらかのどちらかで、その中間が無いものがある。麻薬とか汚職なんかはそれだ。
コメント
蝶を見たいという欲求を抑えられずに、一歩また一歩と歩を進めてしまう「僕」。冷静に考えればとんでもないことをしている。他人の家に断りもなく上がり込み、四階の部屋にまで入って人の物に勝手に触れている。悪魔の導きの如く誰にも見咎められる事なく蝶のもとへ辿り着いた「僕」。でも、やみくもに欲しいものに手を伸ばしてその手に握りしめて良い程の幼子ではない。憧れの蝶を目の前にその全てを見尽くそうと自制が効くはずもなく、、せめて、せめてと欲求は募る一方。それを選択したかどうかすら、本人は自覚出来ていない。自覚があろうが無かろうが、社会の規律のもとに置かれた「僕」は自らの行動の結果を受け止めねばならない。天然自然のままの「夢見る時間」は無常に過ぎていくのですね。