この少年に、コムラサキを見せた。彼は、専門家らしくそれを鑑定し、その珍しいことを認め、二十ペニヒぐらいの現金の値打ちはある、と値踏みした。しかし、それから、彼は難癖をつけ始め、展翅のしかたが悪いとか、右の触角が曲がっているとか、左の触角が伸びているとか言い、そのうえ、足が二本欠けているという、もっともな欠陥を発見した。僕は、その欠点をたいしたものとは考えなかったが、こっぴどい批評家のため、自分の獲物に対する喜びはかなり傷つけられた。それで、僕は、二度と彼に獲物を見せなかった。
「「専門家らしくそれを鑑定し」というのは、この少年にいかにもふさわしいね。」と若葉先輩が言う。
でも、どこがふさわしいのかな?「先生の息子」にふさわしいのかな。先生は、生徒を鑑定するものね。
「その珍しさを認めて、その価値をお金に換算する。まさに「値踏み」する。この少年の価値基準はお金なんだ。そこが「僕」とは違う。」と真登香先輩が指摘した。
そうか、価値基準が自分の外側にあるんだ。
「要するに、その少年は大人なのね。お金こそ、大人の価値基準だから。でも、まだ十歳くらいだよね。もう子供らしさを失っているんだ。さすが「先生の息子」だわ。」と明美班長がまとめた。
「価値を認めるけど、難癖をつけ始める。この少年らしい感じがするけど、なぜかしら?」とあたしは疑問に思ったことを口にした。先輩たちが次々に答えてくれた。
「それは、「僕」が自分の持っていないコムラサキを捕まえたことに嫉妬したからじゃないかな?自分に劣等感を感じさせた者への復讐が始まったんだよ。」
「ひゃー怖い!そう考えると、鑑定というのも自分が上に立つためなのね。コイツはいつでも人の上に立ちたいんだわ。」
「これってさあ、親の影響かな?先生って、生徒をいつでも鑑定していない?この少年は小さな「先生」なんだよ。親のコピーだね。」
若葉先輩、あたしと同じことを言っている。
「もしかすると、これは作者の先生批判かもね。」
先生と言ってもいろんな先生がいるから一口には言えないけれど、それが先生の典型的な姿であるような気がする。
「そして、欠点を発見する。相手をやり込める材料を見つけて、さぞかし得意だったろうね。これで一気に形勢逆転。「僕」の優越感を破壊することに成功!」と若葉先輩が皮肉っぽく言った。
「やなヤツだねー。でも、十歳くらいでこんな嫌なヤツがいるんだね。」と真登香先輩が応じた。
きっとこの子もある意味で純粋なんだ。親の言うことを素直に正しいと思って生きているんだよ。でも、その分、自分が無い。中身は空っぽ。
「「僕」は二度と彼に獲物を見せなくなるけど、それはそうでしょうね。価値観の違いを思い知ったんだわ。こんなヤツに見せても喜びは共有できないと悟ったのよ。」と明美班長がまとめた。
「僕」にとっての価値は、コムラサキそれ自体とそれを捕まえた喜びにあるんだ。それが標本としての価値があるかどうかは、大した問題じゃない。でも、自分とは違う価値観が存在することを知る。しかし、「僕」はそこから目を背けてしまう。自分の価値観の中で遊んでいたいと願ったんだろう。
コメント
「僕」は換算できる価値観というものを目の当たりにしたのですね。数値化されると理解しやすい面もありますが、数値化出来ない点についての情報はごっそり抜け落ちる。「僕」がどんな状況でコムラサキに出会い、どんな風に捕獲したのか、その時の「僕」の気持ちの高揚など、先生の息子にとっては何の意味も持たない。「僕」のコムラサキの美点を見ようとせず、欠点ばかりを論う様を見ると、そもそも蝶などに関心はなく、勲章を沢山ぶら下げているから偉いと階級を誇って一つでも人より上に、人を踏みつけにしてでも上へと執着する、洗脳された軍隊の兵卒のように見えます。もしかすると、蝶を自分では捕獲していないかもしれない。完全な形で蝶を捕獲するのは案外難しいのです。
「「僕」がどんな状況でコムラサキに出会い、どんな風に捕獲したのか、その時の「僕」の気持ちの高揚」とあります。これこそ、「僕」が共有してほしかったものでした。見事に期待外れになりました。