第五十九段 ~恋と生死~

 昔、男、京をいかが思ひけむ、東山にすまむと思ひ入りて、
 すみわびぬいまはかぎりと山里に身をかくすべき宿もとめてむ
 かくて、ものいたく病みて、死に入りたりければ、おもてに水そそぎなどして、いきいでて、
 わが上に露ぞ置くなる天の河とわたる船のかいのしづくか
となむいひて、いきいでたりける。

 昔、男が、京をどう思ったのだろうか(「けむ」は過去推量の助動詞)、東山に住もうと深く思い込んで(「思ひ入りて」)、
〈京には住むことがつらくなってしまった(「すみわびぬ」)。もはやこれまで(「いまはかぎり」)と見切りを付けて、山里に身を隠すべき宿を求めに行ってしまおう。(「もとめてむ」の「」は、意志的完了の〈つ〉の未然形。「てむ」で強い意志を表している。)〉
 それから(「かくて」)、ひどい病気になって、気を失ったので(「死に入りたりければ」)、顔に水を注ぐなどしているうちに、息を吹き返して、
〈私の上に露が置いたようだ(「なる」は推定の助動詞〈なり〉の連体形)。これは、彦星が織り姫に逢うために天の川の川門を渡る(「とわたる」)船のかいのしずくであるか。〉
と言って、生き返ったのだった。
 男が東山に住もうとしたのは、おそらく失恋の痛手を癒やそうとしたからだろう。失意のどん底にあったのだろう。しかし、その甲斐もなく病気になってしまう。それでも、男は希望を捨てていなかったようだ。自分は彦星で織り姫に逢えると思ったのだから。死にかけても恋を忘れない。行き着くところまで落ちれば、今度は恋が生きる力を与えてくれることもあるということだ。

コメント

  1. らん より:

    命がけで恋をしていることが伝わってきました。 死にかけても天の川なんですね。想い人のことをよほど愛していたのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      この男は本当に恋に生きていたのでしょう。
      恋に生き恋に死ぬ、そんな人生なのですね。

  2. すいわ より:

    今でこそ、京都市内を周るのなんてたいして労することではありませんが、当時の貴族、京の碁盤の目の外へ出るなど、大変な事だったのでしょう。それだけの痛手を負い、病に伏せる程の傷心にもかかわらず、気を失ってもなお、息を吹き返して一番に思うのが、思い人。我が上に置く露、それは涙ではなく、かの人の元へと急いで漕ぎ渡る船の櫂の雫だ、と言うのですね。心も、行動も突き動かす原動力、それが恋なのだ、と。

    • 山川 信一 より:

      生死の境をさまよいながらも、恋を忘れず、こんなロマンチックな歌が歌える。見事な生き方ですね。

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