第十一段 ~友への思い~

 昔、男、あづまへゆきけるに、友だちどもに、道よりいひおこせける。
 忘るなよほどは雲居になりぬとも空ゆく月のめぐりあふまで

 男は東国への旅の途上にある。「」は、目的地があることを示す。「道よりいひおこせける」の「おこす」は〈よこす〉で〈やる〉の対。男は、旅の途上、友が恋しくなり、自分が忘れられてしまうのではないかと不安になったのである。
 歌の最初に「忘るなよ」とあって、倒置法が使われている。読み手の関心を惹く効果を狙っている。「雲居」は雲のあるところで、空を表す。ここは比喩で空のように遠いところ。「なりぬとも」は、〈今だって十分に遠いところまで来てしまったけれど、更に遠くになってしまっても〉という意味。男はまだまだ先に進むつもりなのである。「雲居」からの連想で「」「」を出す。空を行く月が再び同じ所に戻ってくるように、再び会う日まで。
 人の心を占めるのは恋のみではない。自然な人間性が示されている。恋は友情あってのものなのかもしれない。どうだろう?

コメント

  1. 匿名 より:

    先生の授業が懐かしく思われます。昨年は古文の味わい方を教えてくださりありがとうございました。今年も古文、頑張ろうと思っております。

    • 山川 信一 より:

      どういたしまして。昨年の授業は三学期が今一つ思い通りに出来ませんでした。
      その分ここで補いたいので、読んでくださいね。
      試験はありません(笑)。そのかわり、学んでよかったと思える話をします。

  2. すいわ より:

    大盃の事を武蔵野って言いますよね、
    野、見尽くせぬ=飲み尽くせぬ
    大盃に並々と酒を注いで月を浮かべて。同じ空の下、友と酌み交わして月を愛でつつ語らう夢でも見られると旅の寂しさも忘れられそうですが。ーあやつはまだ帰らぬか、ちいと疲れた、座って待つか、我は眠たくなった、横になるぞー立ち待ち、居待ち、伏待ちと、月の満ち欠けに合わせて、盃の面の水鏡に友の姿を見られたらいいのに。勇んで出立したでしょうに男の人は寂しがりですね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、友と武蔵野はそう繋がりますか!すいわさんの鑑賞力に脱帽します。

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