ジャッコとザッコ

 けれども、そういう姉にしても、これから釣ろうとしている川魚のことを、いつもジャッコと言っている。分校の先生から、本当は雑魚というのだと聞いてきて、
「ジャッコじゃねくて、ザッコ。」
と教えてやっても、姉はジャッコと言うのをやめない。もう中学生だから、分校の子供に物を教わるのはおもしろくないとみえて、うるさそうに、
「そったらごと、とうの昔から覚えでら。」
 そう言っていながら、今朝もまき餌にする荏胡麻を牛乳の空き瓶に詰めているところへ起きてきて、
「ジャッコ釣りな? ……んだ、父っちゃのだしをこさえておかねばなあ。」
と姉は言った。


「分校って・・・、相当の田舎なのね。だから、清流で河鹿が鳴いているんだわ。」
「姉は中学生だったんだ。弟は「分校の子供」ってあるから、小学生なんだ。この時期の女の子は成長が早いから、中学生の姉からすると、弟はいっそう子供に見えるんだろうね。そんな子供から注意されたくないよね。姉が止めないのはプライドだね。意地を張っている。微笑ましい意地だね。」
「自分たちが普通に話す言葉と学校で習う言葉が違うって、東京に住んでいると意外に思います。あんまり変わらないから。」
「国語という教科の目的の一つは、方言を正すことだって聞いたことがある。」
「母語と国語の違いについて話すね。母語という言葉があるけど、知ってるかな。何か舌足らずな感じで「母国語」って言いたくなるわね。でも、この二つは全く違うのよ。母語は、mothertongueのことね。文字通りお母さんから習う言葉のこと。だから、それは方言でもあるの。それに対して、母国語と言う場合の「母」は比喩ね。母なる国の言葉という意味。つまり、国語は、国家語のことなの。国家がこれが正式な言語だって認めた言葉、それが国語。だから、方言の上に君臨する言語。学校ではそれを習うのね。整理して言えば、お母さんから習うのが母語。学校で習うのが国語ってこと。ついでに言えば、こうなる。母語=方言。(母)国語=共通語=標準語=国家語。」
「だから、姉には無意識の反発があるのかも?何にでも正しい言い方があって、自分たちが普通に使う言葉が間違っているというのが気に食わないのかもしれない。普段は出せないけど、弟だから自然に出たんじゃないかな?」
「雑魚の撒き餌が荏胡麻なんですね。荏胡麻って、エゴマ油の元?近頃話題ですよね。オメガ3脂肪酸を多く含んでいるって、うちでもママが使っています。」
「牛乳の空き瓶というのも、時代を感じさせるね。今は使い捨ての紙パック。代わったのは、コストの問題なんだろうね。」
「「父っちゃのだし」って何?釣った雑魚で作るの?でも、どうやって?疑問が湧いてくるよ。」
 真登香先輩は、さすがに教養があるなあ。あたしは、母国語と母語は同じだと思っていた。でも、ある意味、正反対の概念なんだね。勉強になった。これからはちゃんと使い分けしよう。方言と国語の関係は、日本語と英語の関係に似ている気がする。

コメント

  1. すいわ より:

    中学生と小学生だったのですね。語り手が中学生、お姉さんが中学もしくは高校卒業して就職したくらいを想像しておりました。釣りに出たのも早朝でした。
    山形の郷土料理に「だし」というのありますね。野菜のお料理だけれど、、お父さんの為に一品、だとしたら時代的には随分前、1960年代くらいでしょうか。荏胡麻は寒冷地で栽培されますし、福島、産地ですね。東北の香り満載です。新幹線が通る前の東北は都会からより遠く感じられた事でしょう。
    国語、、言葉を正確に伝えるために皆が共通に認識できる形は必要です。でも、例えばそれぞれの家庭、地方によって「味噌汁」が異なるように、独自の言葉が存在するのは至極自然な事で、排除されなくてはならないものではないし、優劣のあるはずがありません。

    • 山川 信一 より:

      文学と絵もしくは映像の違いがここにあります。漫画や映画であれば、最初にシーンで人物も情景もいっぺんにわかってしまいます。それはわかりやすくはありますが、想像する面白みに欠けるとも言えます。
      想像しながら作品に主体的に関わっていくのが文学の楽しみです。予想が外れるのも楽しいですね。「父っちゃのだし」についてはこれからわかってきます。荏胡麻は福島も産地でしたか。ただ言葉からすると、舞台は更に北のようです。
      言葉は何かの目的を想定して人為的に操作しない方がいいのです。国語の教育政策はひどいことをしました。教育の恥の歴史です。

  2. らん より:

    先入観で、もっと上の年齢を想像してましたが、小学生と中学生だったんですね。
    いろいろ想像して楽しかったです。
    映画と読み物の違いはこうして想像することですね。
    映像なら2人の年齢が見てわかっちゃいますからね。
    「父っちゃのだし」って何ですか。
    どうやって作るのかすごく気になります。

    • 山川 信一 より:

      読みの物の楽しみにはまると、映像が物足りなくなるから不思議です。
      自分で想像することは与えられるより面白いのですね。
      作者はそのことがよくわかっているので、説明抜きに「父っちゃのだし」と言っています。

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