昔、二条の后の、まだ春宮の御息所と申しける時、氏神にまうでたまひけるに、近衛府(このゑづかさ)にさぶらひけるおきな、人人の禄たまはるついでに、御車よりたまはりて、よみて奉りける、
大原や小塩の山も今日こそは神代のこともおもひいづらめ
とて、心にもかなしとや思ひけむ、いかが思ひけむ、しらずかし。
昔、二条の后が、まだ皇太子の生母(「御息所」)と申した時、氏神に詣でなさったところ、近衛府におりました老人が、人々が禄をいただいたついでに、御車から直に禄をいただいて、歌を詠んで差し出した、
〈大原よ、小塩の山の神も今日こそは、神代のことを思い出しているのでしょう。〉
と詠んで奉り、老人自身の心にも昔のことを思い出し、悲しいと思ったのだろうか、どのように思ったのか、わからないことだ。
これは、第三段から第六段に出て来た二条の后(藤原高子)との恋の後日談である。男は、「おきな」と呼ばれる年齢になっていた。史実に従えば、この時、業平は五十一歳で、近衛府権中将だった。二条の后は、昔のことを思い出し、翁(業平)に乗っていた車から直に褒美(「禄」)をお与えになった。そこで翁は、今の思いを歌にして贈ったのである。
この歌の表の意味は次の通り。大原は、藤原氏の氏神がある。ここに小塩と呼ばれる山があった。そこに神が鎮座している。その神も、二条の后のご参詣を受けて、天皇家の手助けをした神代の昔を思い出し、天皇家の繁栄を嬉しく思っているのだろう。
しかし、翁は、二条の后にだけわかる裏の意味を込めていた。「小塩の山」は二条の后をたとえている。この老人にだけ直に禄を賜り、ありがとうございます。あなたも昔この私と契りを結んだ昔を思い出されているのですねと言うのだ。
二人は昔の恋を思い出しているのだろう。あれほどの恋をしたのに、結ばれなかった二人である。甘さと痛みがない交ぜになった思いだろうか。まるで『ローマの休日』の二人が年老いてから会ったようだ。
年を取ってから昔の恋を悲しく思い出す。ここにも恋の味わいがある。
コメント
業平というと「ちはやぶる神代もきかず、、」の絢爛とした情熱的な紅い彩りの歌を思い浮かべますが、年月を経て「小塩の山」、塩の如く白く、お互いに髪に霜降る年になっての再会。
とはいえ、男から車の中の二条の后の姿は見えないし、自分から近寄ることもできない。そんな時、后の方から「あの者へ褒美を」とのお声掛り、無視することも出来るでしょうに、愛しい人も自分の事を心に掛けてくれる。男の喜びはいかばかりでしょう。それと同時に、あの時、手を離してしまった、手放さねばならなかった人が目の前に存在するという悲しみ。
天皇家の弥栄を言祝ぐと見せかけて、2人にだけわかるように昔に思いを馳せる歌を詠む。記憶の小箱を開けると、そこにはどこまでも真白な、何者にも汚すことのできない恋の思い出の欠片がしまわれている。純真さが際立ちますね。歳をとり、容貌に翳りが見えたとしても、きっとお互いの姿は共に「今までで一番美しい」と映った事でしょう。なるほど、「ローマの休日」のその後と仰るのがよくわかります。
さすがに素晴らしい鑑賞です。「小塩の山」の「塩」が髪の白さと思い出の純白さを暗示しているという解釈、納得しました。
また、「歳をとり、容貌に翳りが見えたとしても、きっとお互いの姿は共に「今までで一番美しい」と映った事でしょう。」は、思わず「その通り!」と膝を打ちました。二人の恋は、時の流れを超越しています。
この時の二人の思いを想像すると、胸が締め付けられます。この思いこそ恋なのです。読者の心に強く訴えかけます。