《月の両義》

題しらす なりひらの朝臣

おほかたはつきをもめてしこれそこのつもれはひとのおいとなるもの (879)

大方は月をも愛でしこれぞこの積もれば人の老いとなるもの

「題知らず 業平の朝臣
大体は月を愛すまい。これがこのように積もると人の老いとなるのだからなあ。」

「(愛で)じ」は、助動詞「じ」の終止形で打消意志を表す。「(これ)ぞ」「(積もれ)ば」「もの」は、終助詞で詠嘆を表す。
とおりいっぺんに月を賞美しないようにしよう。なるほど、空に掛かる月は自体は美しく趣深く見える。しかし、それを見ている月日が積もれば、人は老いていく。そう思うと、手放しで賞讃することはできない。
作者は、天体としての「月」に歳月としての「月」を感じてしまった。
この歌は、前の歌と〈月を持て余す心情〉繋がりである。月は現実の旅の途次でなくても侘しさを感じさせると言う。人生も旅である。作者は老境にあり、人生の旅が終わりに近づいた者の感慨を詠んだのだろう。この歌は『伊勢物語』第八十八段にも出ている。そこには、「いと若きにはあらぬ、これかれ友だちども集まりて、月を見て」とあり、友だちに共感を求めた歌になっている。月について、後に道長は「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思へば」と歌う。月への思いは人それぞれである。編集者は物事を一面的に見ないことを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    新月から始まり、やがて満ち再び欠け消えゆく月。その夜の月を愛で詠まれた歌は沢山ありますが、月の満ち欠けの一連と人の人生を重ねて思いを巡らす歌は珍しいですね。
    老いを意識しながら常に新しい発見をする業平。容れ物の枯れ行くのは止められない、でも気持ちの有り様は日々更新され新しくなっているのでしょう。そして月のように輝く。だから皆、業平に魅了されるのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      歌からも人となりが伝わって来ますね。『伊勢物語』の作者もそんな業平を主人公にして物語を書きたくなったのでしょう。

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