題しらす よみ人しらす
おそくいつるつきにもあるかなあしひきのやまのあなたもをしむへらなり (877)
遅く出づる月にもあるかなあしひきの山のあなたも惜しむべらなり
「題知らず 詠み人知らず
遅く出る月でもあるなあ。山の向こうも惜しんでいるに違いない。」
「(ある)か」は、終助詞で詠嘆を表す。「あしひきの」は、「山」に掛かる枕詞。「べらなり」は、助動詞「べらなり」の終止形で推量を表す。
なかなか出ない月だなあ。きっと何か訳があるに違いない。そうか、山の向こうに住む人々にとっては、こちらに月が出ると言うことは、月が山の端に入ると言うことなのだ。彼らはそれを惜しんでいるらしい。それで、月が引き留められて、なかなか顔を出してくれないのだろう。その気持ちもわかるから、月がなかなか出てくれないのも仕方がないか。
作者は、月の出を待つ逸る気持ちを理屈を付けて慰めている。
この歌は、前の歌に対して、時を朝から夜に転じ、新たに「月」を題材にしている。ここからは「月」の歌がしばらく続く。月見の席の歌だろうか。作者は、月の出が待ちきれない逸る心情を、屁理屈だとわかっていても、こう理屈を付けずにいられないと表現した。これによって、その時の心情がよく伝わってくる。一緒に待つ人々も納得したに違いない。編集者は、この間接的な心情表現を評価したのだろう。
コメント
字余りが続く事でリズムの重たさを感じさせ、月の出の遅さの表現に一役買っているように思えます。月が出て来れない事情を見えない山の向こう側の人たちのせいにする発想が斬新。
空へ帰ろうと昇って行こうとする月。まだまだ帰らないで欲しいと引き留める人々。あぁ、だから月はなかなか顔を出せずにいるのだなぁ。きっと山の向こう側でも宴が続いているのだ。それでは暫し、こちらも飲んで待つとするか、そのうちこちらの宴にも顔出しなされる事だろう、、。人気者の月、宴のはしごで千鳥足。お出ましはまだ遅くなりそう、、。
確かに第一句と第二句の字余りは、月の出の遅さと苛立つ思いを感じさせるための技巧ですね。『古今和歌集』の歌は油断がなりません。日本語の表現の可能性をとことん追求しています。
月を宴を梯子する人気者に見立てているようですね。そう考えれば、少しは気がおさまりますか。