《方違えのお礼》

方たかへに人の家にまかれりける時に、あるしのきぬをきせたりけるをあしたにかへすとてよみける きのとものり

せみのはのよるのころもはうすけれとうつりかこくもにほひぬるかな (876)

蝉の羽の夜の衣は薄けれど移り香濃くも匂ひぬるかな

「方違えに人の家に行った時に、主が着物を着せたのを翌朝返すということで詠んだ 紀友則
蝉の羽のように夜の衣は薄いけれど、移り香は濃くも匂っていることだなあ。」

「方違え」は、外出する時目的地の方角に神が居るのでそれを避けるために別の家に泊まること。「(薄けれ)ど」は、接続助詞で逆接を表す。「(濃く)も」は、係助詞で類似を表す。「(匂ひ)ぬるかな」の「ぬる」は、助動詞「ぬ」の連体形で完了を表す。「かな」は、終助詞で詠嘆を表す。詞書では「きぬ」(俗語)、歌では「ころも」(雅語・歌語)と使い分けている。
方違えの夜に拝借した衣は薄いものでしたが、それに薫きしめてあった香は私の衣に移り、今も濃く匂っています。このようにたった一夜のご縁でしたでしたが、あなたのたしなみとご好意は、今でも強く私の心に残っています。ありがとうございました。
この歌は、方違えの際のお礼の歌である。「移り香濃くも」の「も」が主人の好意を暗示している。歌は、こうした円滑な人間関係を維持するためにも用いられる。前の歌とは、その意味での繋がりである。この歌は、後朝の歌ではないけれど、一夜の契りで終わった男女の淡い付き合いに模したのだろう。後朝の歌に用いてもいいような優雅さがある。それによって感謝のほどを表している。編集者は、こうした粋な計らいと蝉の羽の薄さと移り香の濃さの取り合わせの妙を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    お借りした薄衣、透き通った蝉の羽のように薄く浅い縁とは裏腹に、焚きしめられた香りの高いこと、貴女のご厚情、忝く思うばかりです、、ここでも「も」が大活躍ですね。薄い濃いを対比させる事でより情の深さを感じさせます。「せみのはの」が「うつせみの」でない辺りがこれきりでなく次の機会もあるであろう事を期待させます。

    • 山川 信一 より:

      確かにここは蝉の脱け殻では困ります。生きている蝉の羽でないと。やはり「主」は女性なのでしょうね。だとすれば、今後を期待するような歌を贈ることが礼儀でも、思いやりでもありますね。

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