《昇進への祝辞》

いそのかみのなむまつか、宮つかへもせていそのかみといふ所にこもり侍りけるを、にはかにかうふりたまはれりけれは、よろこひいひつかはすとてよみてつかはしける ふるのいまみち

ひのひかりやふしわかねはいそのかみふりにしさとにはなもさきけり (870)

日の光藪し分かねば石上古りにし里に花も咲きけり

「石上並松が宮遣いもしないで石上という所に籠もっていましたが、急に五位に叙せられたので、祝辞を贈るということで詠んで送った 布留今道
日の光が藪を他と区別しないので、石上の古くなってしまった里に花も咲いたことだなあ。」

「(藪)し」は、副助詞で強意を表す。「(分か)ねば」の「ね」は、助動詞「ず」の未然形で打消を表す。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「石上」は、「古り」の枕詞。「(古り)にし」の「に」は、助動詞「ぬ」の連用形で完了を表す。「し」は、助動詞「き」の連体形で過去を表す。「(咲き)けり」は、助動詞「けり」の終止形で詠嘆を表す。
太陽の光は、藪さえ他と区別せず、草深いところまでどこも一様に照らします。だから、石上の古くなってしまった里に花までも咲いていることです。それと同様に天皇のお恵みは、世界にあまねく行き渡り、分け隔てがありません。そのお陰で石上の古くなってしまった里に籠もるあなたも五位に叙せられたのですなあ。おめでとうございます。
作者は、天皇を讃えつつ友が五位に叙せられた幸いを祝う気持ちを伝えている。
この歌は、前の歌と贈り物繋がりである。ただし、この歌では、贈り物が二重になっている。天皇からの叙位とそれに対する祝辞である。並松は、不遇に失意のまま石上に籠もっていたのだろう。それが俄に五位に叙せられた。二人は友人関係にあったのだろう。今道は我がことのようにそれを喜ぶ。そこで、その喜びを、天皇のお恵みを「日の光」にたとえつつ、石上という地名を生かして詠んだ。事実を直接表さないのは、下品にならないための相手への気遣いである。編集者は、その奥ゆかしい表現を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    詞書から、何某かの政治的確執によって一線を退き、忘れ去られるように鄙びた地で暮らしていたと思われる人が叙勲に至った事がわかりますが、冒頭の「日の光藪し分かねば」で経緯はどうであれ上の立場の人に配慮しつつ、友が真っ当に評価されたことを喜ぶ詠み手の思いが伝わってきます。お上(光)に楯突いた(薮)からと言って君の才能は埋もれて終わるようなものではない、君が隠れた所でその才能はこのように必要とされ見出されるものなのだ、としみじみと友が報われたことを寿ぐ。あからさまでない祝いの言葉、布留今道も一角の人物なのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      この歌の背景には複雑な事情が有ることが想像されますね。詞書は、それを知らせるためにあります。さて、この歌は友の心を和らげ、作者の期待に応えて、友は石上の薮の中から出て来るのでしょうか。歌は世界で一番身近いドラマです。

タイトルとURLをコピーしました