《逢った後の恋》

題しらす よみ人しらす

あひみすはこひしきこともなからましおとにそひとをきくへかりける (678)

逢ひ見ずは恋しきことも無からまし音にぞ人を聞くべかりける

「題知らず 詠み人知らず
結ばれなかったら恋しいこともなかったでしょう。噂にあなたを聞くべきであった。」

「(逢ひ見)ずは」の「ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「は」は、係助詞で仮定を表す。「(無から)まし」は、反実仮想の助動詞「まし」の終止形。ここで切れる。「(音に)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(聞く)べかりける」の「べかり」は、推量の助動詞「べし」の連用形。「ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
あなたと結ばれなかったら、逢えない時間にこれほどあなたが恋しくはなかったでしょう。こんなに苦しいものとは思ってもみませんでした。こんなことなら、あなたにお逢いすることなく、噂にだけ聞いて恋していればよかったです。今になってそれに気づき驚いています。これこそが本物の恋なのですね。
作者は次のように訴えている。逢えないのはつらく苦しい。だから、何とか逢おうとして、思いつく限りの手段を講じて逢う努力を重ねてきた。そして、その努力が実り、恋人に逢うことができた。ところが、実際に逢えても心が満たされることはなかった。むしろ、恋しさは増すばかりである。逢えない時のつらさ苦しさは、逢わずに恋していた時と比べものにならない。作者はこう言うことで、「生身のあなたは、私が想像で創り上げた人とは比べものにならないほど魅力的だった。」と現実の相手の素晴らしさを讃えているのである。
この歌は、たとえを用いない生の実感をそのまま述べている。そのため、巻頭の歌の主旨を明らかにし、恋四の歌全体の性格を表す役割を果たしている。その意味で、編集者はここに置くにふさわしいと判断しのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    夢見ていた頃はまだ自分の想像の範囲、現実にあなたと結ばれて、それは想像以上に幸せで。だからこそ、あなたを知ってしまった今、あなたが恋しくて待つことが辛い。こんなことなら、いっそただ噂を耳にしてあなたをお慕いするだけにしておけばよかった、、。まさに女友達が切ない胸の内を打ち明けているようです。

    • 山川 信一 より:

      「詠み人知らず」の歌ですから、作者は男とも女とも考えられますね。すいわさんは、女の気持ちとして読んだのですね。女友達に胸の内を打ち明ける・・・なるほど、あり得ますね。いい読みです。私は、「噂」とあるので、こういう場合普通は「あそこにいい女がいる」という噂ですから、単純に男の気持ちだと思って読みました。

  2. すいわ より:

    「国語教室」5周年、おめでとうございます。6年目、スタートですね。
    一般的にどんな趣味の講座でも、せいぜい週一回が相場、週末に時間があれば覗かせていただこうかしら、と思っておりました。それがほぼ毎日のペースでの更新、なんと贅沢な事か。ご覧ください、アーカイブスの量!見えない相手を前にこんなにも沢山の講義を5年も。そうそう出来ることではありません。本当に先生は凄い! 
    毎日学ぶことが出来て幸せです。感謝してもし尽くせません。有難うございます!
    まだまだ続く学びの旅、どんな景色が見られるでしょう。楽しみです。

    • 山川 信一 より:

      ありがとうございます。これも、すいわさんのような熱心な生徒がいてくれたからです。すいわさんに支えられながらここまで何とかやってこられました。感謝のしようがありません。
      授業は、指揮者と演奏者で作る音楽に似ています。指揮者がいくらタウトを振っても、演奏者が音を出してくれなければ、成り立ちません。その意味では、「国語教室」にはまだ演奏者が二人しかいません。バイオリンとチェロでしょうか。もちろんそれでも、いい音色は響かせています。でも、少し楽器が増えるといいですね。

  3. まりりん より:

    最初に読んだ時、逢えないことが辛く苦しいと、暗に相手を非難しているのかと思いました。でもそうではなくて生身のあなたはこんなに素晴らしい!と、相手への賞賛なのですね。どうも深読みが苦手です。。
    私はこの歌は、何となく女性の気持ちとして読みやすいです。きっと自分が女性だからですね。

    • 山川 信一 より:

      逢えないことがこんなに苦しいなら、いっそ逢わない方がよかったと言うのですから、自分の行為への後悔です。相手への非難にはなりません。しかし、本当に逢わない方がよかったとは考えられません。ならば、言いたいことは何か?と考えるのです?言葉は、そう言うだけの理由があります。

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