題しらす よみ人しらす
なとりかはせせのうもれきあらはれはいかにせむとかあひみそめけむ (650)
名取川瀬々の埋もれ木現れば如何にせむとか逢ひ見初めけむ
「名取川の多くの瀬の埋もれ木が現れたらどうしようと思い情を交わし始めたのだろうかなあ。」
「名取川瀬々の埋もれ木」は、「現れ」の序詞。「(現れ)ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(せ)むとか」の「む」は、意志の助動詞「む」の終止形。「と」は、格助詞で引用を表す。「か」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(初め)けむ」は、過去推量の助動詞「けむ」の連体形。
陸奥にあると言う名取川。その多くの浅瀬には埋もれ木があると聞きます。その埋もれ木は、川の流れによって現れることがあります。しかし、その埋もれ木のように、私たちの関係が現れてしまったらどうしようかと思って情を交わし始めたのでしょうか。そうではありませんよね。
恋人が二人の関係が現れることを心配し、二人の関係にためらいを感じているのだろう。そこで、作者は恋の原点を思い出させようとしている。純粋に自分たちの思いに従えばいいのだと説得している。「名取川瀬々の埋もれ木」だって、時に現れることもあるのだから、それは仕方のないことなのだからと。
前の歌とは、世間の噂繋がりである。「名取川」は、628番にも出て来た。「名」とあるので、噂のたとえによく用いられたのだろう。「名取川瀬々の埋もれ木」は、形だけの「現れ」の序詞ではなく、実景として相手の説得に働いている。恋には障害が付きものである。世間の噂もその一つである。相手がそれに脅えて心変わりすることもある。それにどう対処するかも恋のうち。大事な恋の営みである。編集者は、この歌がそこに焦点を当てている点を評価したのだろう。
コメント
「噂が流れて(名取川)事が露見する(埋もれ木)事が時にはある」と誰もがこの内容を共有出来る所が面白いです。この感覚、現代でもオノマトペの形で残っているように思えます。
貴女は噂になる事を恐れているのですね(とまず相手の気持ちを受け止める)。行動にはリスクが付き物だけれど、貴女は私と逢って下さった。私への思いがまず先にあった事を思い出して下さい(受け止めた上で現状を確認、こちらの意見を提示)。悩み相談の模範解答例がまさかこんなに昔に示されていたとは!
歌に限らず、表現とは誰かを説得するために為されるものです。説得にセオリーがあるなら、今も昔も変わらないのでしょう。
たとえもオノマトペも、その民族特有の共通感覚に上に成り立っています。しかも、その感覚は意外に普遍性があったりもします。
前の歌が、周囲の雑音に惑わされずに二人の世界を突く、という印象だったのに対して、この歌では世間体を気にしているようですね。確かにすいわさんも仰るように、皆が共有出来る内容で、わかりやすい歌だと思います。
世間の噂や評判に対しては様々な反応があります。『古今和歌集』は、そのバリエーションを載せているのでしょう。