題しらす 読人しらす
おくやまのすかのねしのきふるゆきのけぬとかいはむこひのしけきに (551)
奥山の菅の根凌ぎ降る雪の消ぬとか言はむ恋の繁きに
「奥山の菅の根を押し伏せて降る雪が消えてしまうと言おうか。恋の絶え間無さに。」
「奥山の菅の根凌ぎ降る雪の」は、「消ぬ」を導く序詞。「消ぬとか」の、「消」は、下二段活用の動詞「消ゆ」の連用形。「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形で、「消える」と「死ぬ」の掛詞。「か」は、係助詞で疑問・詠嘆を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(言は)む」は、意志の助動詞「む」の連体形。以下は倒置になっている。
奥山の菅の根を押し伏せて降る雪もいつかは消えて無くなってしまいます。その雪が消えるように私も死んでしまうと言いましょうか。あまりに恋の苦しさが絶え間ないので。
冬の風物を利用して恋心を訴えている。「奥山の菅の根凌ぎ降る雪」であるから、そう簡単には消えそうにない。しかし、それでも春が来ればいつかは消えてしまう。そのように確かなものなど無い。作者は、それを踏まえて、自分も恋しさがこのまま絶え間なければ死んでしまうと訴えている。
前の歌とは、雪繋がりである。この歌は、序詞に工夫が凝らされている。「菅の根の」は、本来は、「長し」「乱る」「ねもころ」に掛かる枕詞である。しかし、この歌では、枕詞としてではなく、その語感だけを利用して、さらに「奥山」を冠し、「凌ぎ降る」と続けている。そう簡単には解けて消えない雪を具体的にイメージさせるためである。その上でそれが消えてしまうと言い、自分が死んでしまう意を重ねる。万年雪さえ消える。ならば、自分は恋に死ぬに違いない。そう言うことで、自分がいかに恋人を思っているのかを伝えている。しかも、こう言いつつ、恋人の心の雪解けを願う思いも暗示している。編集者は、この何重もの仕掛を評価したのだろう。それで、恋一の巻末の歌にしている。
コメント
奥山の裾まで覆い尽くす根雪、あの到底消えそうにない雪だって消え去るのです。こんなにも恋に翻弄されたら私だって恋死にするに違いない、、。
この歌、捉えにくいです。
「菅の根」の、意味するところを見ると、むしろこれが詠み手の心?それを凌ぐ相手の打ち解けない心(雪)なのか?
「私がこんなに恋心を寄せれば、あなたの根雪のように冷たい心も消えるのではないか?」とこの歌、上の解釈と二重にとれないでしょうか?
この歌はとても凝っていますね。私も理屈としては分析できるのですが、感覚的意は捉えにくいです。恋人の心の雪解けも暗示しているとは思います。、
「死」をチラつかせるとは、穏やかでないですね。恋とは苦しいもの。時には「死」を覚悟して挑む。その先に幸せが待っているとは限らないのに、なぜ恋をするのだろう?と考えてしまいました。これは理屈ではなく、落ちていくもの?
恋は落ちるものかも知れませんね。落ちてからこんなに苦しいものだったかに気づきます。でも、落ちるほど魅力的なのです。