題しらす 読人しらす
おもふにはしのふることそまけにけるいろにはいてしとおもひしものを (503)
思ふには忍ぶる事ぞ負けにける色には出でじと思ひしものを
「思うには忍ぶことは負けてしまったなあ。顔色には出すまいと思っていたのに。」
「(事)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(負け)にける」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。ここで切れ、以下は倒置である。「(出で)じ」は、打消の助動詞「じ」の終止形。「(思ひ)しものを」の「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「ものを」は逆接の接続助詞。
これまであなたを思う気持ちで心がいっぱいになっても、それを顔色に出さないようになんとか堪え忍んできました。なぜなら、恋は私とあなただけの秘め事ですから、人に知られるわけにはいきません。なのに、あなたへの思いがあまりにも強くなって、とうとう堪え忍ぶことができなくなってしまいました。恋に苦悩する心が顔色に出て、人に知られてしまいました。あんなに顔色に出すまいと耐えていたのに、あなたを思いすぎてしまったからです。こんな私を許し受け入れてくれますか。
作者は、自分がいかに相手を思っているかを伝えるために、「思ふ」と「忍ぶ」とを比較してみせる。確かに、言われてみれば、「思ふ」と「忍ぶ」は、どちらも心理状態であるから比較ができる。しかし、普通はそんな比較は考えもしない。ところが、恋をすると普段考えもしないことを考えてしまうのだ。そして、作者は、それをも口説きの手段にする。編集者は、恋のこうした心理分析を示している。
コメント
人はいくつもの仮面を持っている。これまでそれらを使い分けて上手くやってきた。でも、あなたへの思いを隠す「忍ぶ」はあまりにも呆気なく剥がれてしまった。この思いを覆い隠すことなど到底無理だったのだ。所詮「仮」の姿、私の本心が露わになった今、あなたはどう応えてくれるだろう、、。
「色」という「仮面」は、心の中の「思い」と「忍ぶ」の勝敗が作り出したものなのですね。ならば、我々の「色」も、何らかの心理の闘いの結果、何者かが勝ったものということになります。さて、今私の「色」は何が勝った結果なのでしょうか。分析できません。する気にもなりません。・・・恋をしていないから?
恋に限らず、色々な思い、心の状態が顔色に出ると思います。恋をして艶やかな人、薄幸のオーラを纏っている人、不機嫌そうでカサカサしている人。物言わずとも、心理状態は顔色で何となくわかりますね。自分も気を付けなくては。。
先生は、、拝見していないのでわかりませんが、人生を達観した結果とか?
そうですね、私は大抵苦悩の表情をしています。苦しくなければ、生きている気がしないからです。しかし、本当は、それを人に見せてはならなのですが、それができていません。だから、周りの人は見たくないでしょうね。
私には、先生が苦悩の表情をなさっていた記憶は一度もありません。逆に、いつもにこやかでいらしたと記憶しています。
先生は、きっとご自分に厳しい方なのでしょうね。
私は、自分にも他人にも甘いです。そのお陰か、まあまあ幸せに過ごせています。多くを望んでいないので。向上心がないと他人様からはダメ出しされるかもしれませんが、自分が満足していればそれで良いと思っています。最悪なのは、自分に甘くて他人に厳しい方。職場とか、結構いろんな所にいますね。いわゆる勘違い人間はこのタイプに多いです。これは本当に最悪です。自分はそうでなくて良かったと、心から思います。
私は長年陸上競技を続けてきました。それも、中長距離です。この競技は苦しさに耐える競技です。そのため、表情もそうなってしまったのです。でも、まりりんさんの記憶ではそうではないのですね。「思い出は過去を美化する」と言いますからね。
職場にはいろんな人がいますね。ただ、教師は一国一城の主で、上下関係もあまりないので、その点は楽でした。人は人自分は自分でしたから。中には、未だ封建的な職場もありそうですね。