《女を口説く》

みちにあへりける人のくるまにものをいひつきて、わかれける所にてよめる とものり

したのおひのみちはかたかたわかるともゆきめくりてもあはむとそおもふ (405)

下の帯の道は方々わかるとも行き巡りてもあはむとぞ思ふ

「道で会った人の車に言い寄って、別れた所で詠んだ  友則
下に着る物の帯は身に回され道は方々に分かれるとも行き巡っても逢おうと思う。」

「下の帯の」は、「わかるとも」の枕詞。「あはむ」にも響く。「道は方々わかるとも」は、「帯が身に回される」と「道があちこちに別れる」の掛詞。「あはむ」は、「帯が合う」と「あなたに逢う」との掛詞。「む」は、意志の助動詞「む」の終止形。「ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「思ふ」は、四段活用の動詞「思ふ」の連体形。
外出の途中で女の車に出会ったので、言い寄ってから別れた時に詠んだ。
あなたが下にお召しになっているお着物の帯は、身に回されても最後には一つ所に結ばれるますよね。それと同じように、私たちはここでお別れして、道はあちらこちらに別れても、最後には巡り巡ってまたお逢いすることになるだろうと思っていますよ。
外出の途中で女の車に出会い、言い寄る。これが当時の貴族の嗜みだったのだろう。その場合、いかに女のその気にするかが腕の見せ所だったに違いない。「下の帯」のたとえを出すことで、自分の願望をそれとなく示す。これは女に再び逢う気があれば、逢いやすくするための配慮になる。男が望んだことだという言い訳を与えるからである。こういう場合、そのことが仮に実現しなくても、取り敢えずこんな風に口説くことが女への礼儀でもあったのだろう。女も言い寄られて悪い気はしないはずだ。逢う逢わないは女次第である。平安時代は国風文化の時代であるから、中国の儒教的な性道徳の影響が少なかったのだろう。(もちろん現代のような禁欲的なキリスト教の影響も無い。)男女関係の大らかさが伺える。しかし、前の貫之の歌に比べると、表現が露骨で、こうした表現を好まない女性もいるだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    たまたま居合わせた人にこの歌を送るのですよね。イタリア人か!と思ってしまいます。車に乗っているのが姫君とあればお声掛けするのがむしろ相手に対する思いやりでもあったのでしょう。そしてこの歌に対する返歌で相手を推しはかるのでしょうね。それにしても、思い切り良く直接的な表現、モテる人だったのでしょうね。自信があるのだろうなぁ。

    • 山川 信一 より:

      本来の日本人は、ラテン系なのかもしれません。それが外来の文化の影響で変わってきたでしょう。それにしてもこの歌は、「久方の光長閑けき春の日に静心無く花の散るらむ」と同じ人が作ったとは思えません。しかし、考えようによっては「久方の」の歌は、「命みじかし、恋せよ乙女」と言っているのかもしれませんね。

      • すいわ より:

        「命短し、恋せよ乙女」と聞いて、車に乗っていた女がまだ年若い、幼い人だったのではないかと思えてきました。今、この歌の本当の意味がわからなくても、いつかわかる日が来る。素敵な大人になるのを待っていますよ、というような。

        • 山川 信一 より:

          いろいろな想像ができますね。「久方の光長閑けき春の日に静心無く花の散るらむ」にしても、状況によっては恋の歌にもなります。これが言葉です。もし、「久方の」を恋の歌にすれば、これは年若い人に贈った歌ではないでしょうか。そして、「道に逢へり」の歌は、大人の女性に贈った歌になります。やはり、この歌はかなり露骨な表現になっていますからね。若い女性では堪えられないように思えます。

  2. まりりん より:

    要するに「ナンパ」したわけですね。ナンパが嗜み?!
    というか、この歌に限りませんが、平安びとは情熱的だったのですね。
    余り露骨な表現は、、んー、私はちょっと苦手です。。

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