《レトリックが表すもの》

題しらす よみ人しらす

あかすしてわかるるそてのしらたまをきみかかたみとつつみてそゆく (400)

飽かずして別るる袖の白玉を君が形見と包みてぞ行く

「満足しないで別れる袖の白玉を君の形見として包んで行くことだ。」

「(飽か)ずして」の「ず」は、打消意志の助動詞「ず」の連用形。「して」は接続助詞。「(包みて)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「行く」は、四段活用の動詞「ゆく」の連体形。
満たされることなく君と別れることになってしまった。私の目からは白玉のような悲しみの涙が止めどなくこぼれてくる。せめてこの涙を君を偲ぶ形見として大切に袖に包んで行こうと思う。
恋人との別れなのか、友人との別れなのか、詳しい状況はわからない。いずれにせよ、何らかのやむを得ない事情で別れることになったので、作者は実に心残りなのである。そこで、相手にその思いを伝えるために涙を「白玉」にたとえた。これは隠喩である。自分の思いは美しい真珠にたとえられるほど偽りのないものであると言いたいのである。さらに、それを袖に包んで相手を思い出す形見とするなどと有り得ないことを言う。これは誇張表現である。自分の思いは、それほど強いのだと言いたいのである。
一方、この歌のレトリックは、それが通用する程良好な二人の関係も表している。相手は隠喩も誇張表現も大袈裟だとも白々しいとも思わなかった。だから、この歌の表現が成立した。したがって、二人の関係が良好なものであったことがわかるのである。

コメント

  1. すいわ より:

    別れ際に、まだ行かないでくださいと泣く女の涙を自分の袖で拭ってやって「そてのしらたま」、君の涙をほら、君だと思って大切に持ち帰るよ、ということなのだと思いました。いずれにしてもお互いの距離感、親密度は深いものと思われますね。

    • 山川 信一 より:

      やはりこの二人の関係は恋人同士がふさわしいですね。ならば、これは男の歌ですね。「白玉」を女の涙ととることもできそうですね。「君が形見」ですからね。でも、男の悲しみはどうなるのでしょう。男も泣いてくれないと、バランスが取れません。上から目線で眺めている感じになります。ここは、自分の涙を「君が形見」と言うことにオリジナリティとリアリティがあるように思います。

  2. まりりん より:

    別れの時に流した涙を白玉に喩えた、ということは美しい涙、美しい別れだったのでしょうか。少なくとも「修羅場」の涙ではななさそう。
    「白玉を君が形見」私のために泣いてくれたあなたの姿一生は忘れません、と言っているようにも思えます。もう二度と会わないのか、また会えるのか、。。

    • 山川 信一 より:

      「白玉を君が形見」とありますから、「白玉」は相手の涙をたとえていると思えます。つまり、「私のために泣いてくれたあなたの姿」と。しかし、作者の悲しみはどうなっているのでしょうか?相手の涙が「白玉」ならば、作者の涙は何でしょう?それとも作者は泣いていない?そこが引っかかります。それと次の歌との繋がりも・・・。

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