《春の賀の歌 その二》

内侍のかみの右大将ふちはらの朝臣の四十賀しける時に、四季のゑかけるうしろの屏風にかきたりけるうた  そせい法し

やまたかみくもゐにみゆるさくらはなこころのゆきてをらぬひそなき (358)

山高み雲居に見ゆる桜花心の行きて折らぬ日ぞ無き

「内侍の長である藤原満子が兄である藤原朝臣定国の四十賀をした時に、四季の絵が描いてある定国の後ろに置いてある屏風に書いた歌  素性法師
山が高いので雲の辺りに見える桜の花を心が行って折らない日は無い。」

「(山高)み」は、形容詞の語幹に付き接尾辞で原因理由や状態を表す。「(日)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「無き」は、形容詞「無し」の連体形。
山が高いので、雲と見間違う辺りに見える桜の花。そこまでは到底行くことはできません。ですが、心ではそこまで行って、桜の花を折ってお兄様にお見せしようと思わない日はございません。この桜の花と同様に、雲居にあるお兄様には容易にはお目にかかれませんが、いつもご長寿を願いお慕い申し上げております。
前の歌と同様に屏風の絵を見て詠んでいる。これも季節は春である。雲居にある桜の花を兄に見立てている。兄の位の高さを讃えつつ、その長寿を願っている。

コメント

  1. すいわ より:

    これ、面白いですね。四曲一双の屏風、春夏が右隻、一曲と二曲の間に霞を描いて山桜を描いてあるのかしら、と想像してしまいました。
    初春の若菜摘みからまた一歩季節が進んで桜の頃。高嶺に咲く桜の美しさ、手に入らないからこそ心惹かれる。そんな貴重なものを是非にも兄に見せたいと言う気持ちと、その尊い存在を兄に見立てるという内容。大人になって行く過程で兄妹の距離が初春(子供)の頃より離れざるを得なくなっていくようで、それでも心に掛けぬ日は無いという思いの深かさが切ないです。長寿が奇跡であることを思い知らされます。

    • 山川 信一 より:

      素敵な鑑賞です。屏風の絵と共に兄妹の関係、妹の兄への思いがはっきりしてきました。それにしても、素性法師の表現力はさすがですね。

  2. まりりん より:

    この屏風絵の山は、吉野山でしょうか。花の盛りに、雲のように山を囲んでいるピンク色が目に浮かびます。「心の行きて」がとても素敵な表現ですね。現実的には無理でも、心は行く。お兄様を心から敬い大切にしている気持ちが強く表れていると思います。

    • 山川 信一 より:

      これは、京都から見える高い山の桜と言うことでしょう。山の頂に近いところなので、雲と見紛うばかりなのです。桜か雲か量りかねるという光景です。
      妹の兄を思う気持ちの素晴らしさがよく出ていますね。

タイトルとURLをコピーしました