《洗練された見立て》

もとやすのみこの七十の賀のうしろの屏風によみてかきける きのつらゆき

はるくれはやとにまつさくうめのはなきみかちとせのかさしとそみる (352)

春来れば宿にまづ咲く梅の花君が千年の挿頭しとぞ見る

「元康の親王の七十の賀の後ろの屏風に詠んで書いた  紀貫之
春が来ると家にまず咲く梅の花は、あなたの千年の齢の冠飾りと見る」

「(来れ)ば」は、接続助詞で恒常的条件を表す。(春が来ると毎年必ず梅が咲く。)「(君)が」は、格助詞で連体格を表す。「(と)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「見る」は、上一段活用の動詞「見る」の連体形。
春が来るとお庭の梅が一番に咲きます。この梅の花は毎年、千年にわたって、あなたの齢の祝宴の冠飾りになるものと見ております。
元康の親王の七十の賀は、梅が咲く早春に行われたのだろう。その実景を取り入れて祝いの歌とした。梅の花を祝宴の冠飾りに見立てている。梅は咲く度に、これから千年の間、祝賀の冠飾りになると言うのだ。大袈裟な飾り言葉もたとえもない。すっきり洗練されている。それでいて、親王の長寿を願う思いを見事に表している。いかにも貫之らしい歌になっている。

コメント

  1. まりりん より:

    梅の花の冠飾りなんて、華やかで心躍ります。歌を贈られた側は素直に嬉しいでしょうね。
    余計な飾り立てをせずにすっきりと、それでいて要所はしっかり押さえていて洗練されている。
    雑誌の中のファッションみたいですね。ファッションと歌、全く異次元のものに思えますが、こんな共通点があったのですね。

    • 山川 信一 より:

      ファッションも表現ですから、和歌と共通点がありますね。すなわち、日本人のありとあらゆる表現の原点には、日本語があります。日本語を考えることは、日本文化を考えること、日本人の思考を考えることです。

  2. すいわ より:

    前の興風の歌と比べると何ともすっきり。梅の花の香りのようにすっきりとダイレクトに心に届くお祝いの歌。
    春一番に花咲かせ庭を彩る梅の花を挿頭に見立て、屋敷全体を祝うその人と重ねる。そうする事でその人本人だけでなく、一族の繁栄をも願っているように思えます。そして、お祝いの席に設えた屏風にこの歌を書いた事で、季節の建具替え毎、春が来る度におめでたい今日の日を思い起こさせるのですね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、季節の変わり目ごとにこの屏風を出すことになるのですから、歌の力は大きいですね。すいわさんの鑑賞で歌の背景が見えてきました。

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