雪のふれるを見てよめる 凡河内みつね
ゆきふりてひともかよはぬみちなれやあとはかもなくおもひきゆらむ (329)
雪降りて人も通はぬ道なれやあとはかもなく思ひ消ゆらむ
「雪が降っているのを見て詠んだ 凡河内躬恒
雪が降って人も通わない道なのか、どうして跡形も無く心が消えているのだろう。」
「(人)も」は、係助詞で類似の事態の一つを提示する。「通はぬ」の「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(道)なれや」の「なれ」は、断定の助動詞「なり」の已然形で、係り結びとして働き文末を連体形にする。「や」は、係助詞で反語を表す。「あとはかもなく」の「も」は、係助詞で類似の事態の一つを提示する。「(消ゆ)らむ」は、原因理由の推量の助動詞「らむ」の連体形。
雪が降っている。視界に入る物すべてが雪に覆われ、道も消えてしまった。私は、あの道なのか、いやそうではない。なのに、どうして確かに有るはずの心がすっかり消えてしまっているのだろう。
雪が降るのを見ての発見を詠む。作者は、道と心は全く別物なのに、雪に消えた道こそが今の自分の心だと気付く。なぜなら、道はもはや人を通すという働きを果たしていないし、心は火が消えてしまったように心としての働きを失っているからだ。人が通ってこそ道であるなら、他者の心が通ってこそ心なのだ。雪は、どちらも機能させなくしてしまう。こうして、作者は、形の無い、雪に降り籠められた心を伝えるために道という形を与えた。これは、作者自身の実感であるが、誰しもが共感できる普遍性を持つに違いない。
コメント
この歌でも、前の歌と同様に「雪が心を消す」と言っていますね。
道は人が通るところ。人は心の道を通って他人に心に触れる。
なるほど、目に見える道と、目に見えない道。そして雪はどちらの道も消してしまったのですね。
道がなくなれば人は孤立し、火が消えた心は雪のように冷たくなるのでしょうか。悲しいし、怖いです。
雪は周りの物全てを消してしまう「消しゴム」のようだと思いましたが、あまり詩的でないので。
雪に代わって消しゴムが降っているところを想像しても、変だし美しくないですしね。
「消しゴム」ですか。まりりんさんは、長らくお世話になってきたのでしょうね。詩的であるかどうかは、「消しゴム」の使い方次第です。試みてください。確かに「降ってくる」イメージではありませんが・・・。
きっと、消しゴムだと覆い隠すというよりも取り去るイメージになってしっくり来なかったのではないでしょうか。
でも、消し痕の白さは印象的ですよね。
全く違うシチュエーションになってしまいますが、、
あなたへの恨み言を書き殴って、その黒さにハッとして握りしめた消しゴムで掻き消した。消し痕の眩しい白。心が晴れるかと思いきや、形となった消し滓の塊はこれがお前の心の澱だよ、と見せつけてくる。本当のお前は白、それとも黒?と。
日曜の朝だというのにブラックなストーリーが湧いてきてしまいました、失礼しました、、。白い消しゴムから黒い消し滓っていうところがちょっと面白い「モノ」ですよね。
すいわさんは、ストリーテラーですね。面白そうな話が書けそうですね。ただし、私は「恨み言」の相手にはなりたくありません(笑)。
まりりんさん、いかがですか?
すいわさんの想像力と文章力には脱帽です。
白い消しゴムから黒い消し滓 ですか… どんなに表面だけ取り繕っても、心の奥底は隠しきれない、どこかに真実は滲み出していて、お前の心の内は見透かされているよ と言われているようです。
先生が仰ったように、本当に 使い方 ですね。
すいわさんについては、同感です。
そこで一首。「恨み言書きて消したる消しゴムの黒き滓とは心の垢や」
雪が降っている。降り始めは心躍るが気付かぬうちに降り込めて道を隠してしまう。そう、気付かぬうちに。いつの間に行き来出来なくなってしまったのだろうか。一度通わなくなると、そこに道があったのかも定かでなくなってしまう。これは人の心も同じ。当たり前に通い合っていた心がいつしか辿れなくなり行き合うことすら出来なくなって、、。なるほど、まさかの共通点な訳ですね。だから敢えて詞書を添えて冬の歌として印象づけたのでしょうか。では雪が消えたら心は戻るのか?一度消えた火を点すのは難しそう?
白いマスクが、、雪に思えてきました。
なるほど、雪と白いマスクなら通じる所がありますね。パロディを作ればこうなるでしょうか?「誰もがマスクするを見て詠める/マスクして人も通はぬ道なれやあとはかもなく思ひ消ゆらむ」コロナ禍のマスクは、当時の雪だったんですね。マスクにせよ、雪にせよ、人は物理的な物に影響を受けやすいものです。無くなれば、きっと心も戻ります。