《池の秋》

池のほとりにてもみちのちるをよめる みつね

かせふけはおつるもみちはみつきよみちらぬかけさへそこにみえつつ (304)

風吹けば落つる紅葉葉水清み散らぬ影さへ底に見えつつ

「池の辺で紅葉が散るのを詠んだ  躬恒
風が吹くと落ちる紅葉葉は、水が澄んで綺麗なので、散らない紅葉の影まで水底に見えていることだなあ。」

「風吹けば」の「ば」は接続助詞で偶然的条件を表す。「水清み」の「み」は、接尾辞で形容詞の語幹について原因理由を表す。「散らぬ」の「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「影さへ」の「さへ」は、副助詞で添加を表す。「見えつつ」の「つつ」は、接続助詞で「つつ止め」という用法で詠嘆を表す。
風が吹く。すると、紅葉の葉が散って水に落ちる。水がくもりなく澄んでいるので、水面には、散った紅葉が、水底には、散らずに残っている紅葉の影が見えてなんとも美しいことだなあ。
「山の秋」「川の秋」に続いて、この歌は「池の秋」である。「池の秋」とはどんなものなのかを考えたのだ。水を同じように湛えていても、池の水は川と違って流れが無い。多少の風なら波立つこともない。それも澄んだ清らかな水であれば、鏡のように対象を映す。秋であれば、紅葉を映す。そのワンシーンを切り取って「池の秋」とした。
歌は、落ち葉を目で追う作者の視点の上下への移動を表している。かすかに風が吹く。紅葉はそれでも散ってしまう。ただ、風が弱いので、それほど遠くには吹き飛ばされない。池の縁に落ち、水面に浮かぶ。池の水が澄んで鏡のようになっているので、そこには、水面の紅葉ばかりかまだ散っていない紅葉まで映っている。世界が二倍になって感じられる。作者は「池の秋」をこんな風に味わうと言うのだ。

コメント

  1. すいわ より:

    庭に出て池のほとりで枯れ落ち始めた紅葉を眺めていたのですね。はらりと散った一片を目で追うと水面にポツリと浮かび、波紋が広がって行く。それは水中の世界への扉を開くよう。再び静まり返った水面を覗くと、そこにはまだ散らぬ紅葉が映り込み、落葉の開いた水底の世界にも秋の彩があるかのように見える。池の秋。増幅した世界の、何という静けさ。

    • 山川 信一 より:

      素敵な鑑賞です。「水中の世界への扉を開く」という捉え方が独創的です。歌の世界が一層広がりを増しました。更に音の静けさまで感じられますね。

  2. まりりん より:

    澄み切った池の水が、光を反射してキラキラしてる情景が目に浮かびます。鏡のような水面は倍量の紅葉の世界。加えて、空や雲も。上を見ても下を見ても広い空。そして、首を伸ばして池を覗き込んだ作者の顔まで映し出されて。。あら、あなただーれ? どこかの神話で聞いたような話。
    池の秋、、池にも秋を見つけた。なんと豊かな感性でしょう。

    • 山川 信一 より:

      素敵な鑑賞です。上下の世界の広がりが感じられます。読み手は作者と共に歌の世界の住人になってしまいそうですね。

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