《今を楽しむ》

世中のはかなきことを思ひけるをりにきくの花を見てよみける つらゆき

あきのきくにほふかきりはかさしてむはなよりさきとしらぬわかみを (276)

秋の菊にほふ限りは挿頭してむ花より先と知らぬ我が身を

「人生の儚いことを思った折に菊の花を花を見て詠んだ  貫之
秋の菊が美しく咲いている間は冠に挿して遊ぼう。花より先に死ぬかも知れない我が身なのだから。」

「挿頭してむ」の「む」は、意志の助動詞「む」の終止形。ここで切れる。以下は倒置になっている。「我が身を」の「を」は、接続助詞で原因理由を表す。「我が身なるを」の「なる」が省略された形。
菊が美しく咲いている。菊は邪気を払う力をもつ霊草である。人々は、菊を愛で無病息災や不老長寿を願う。しかし、菊とても、花の盛りはひとときのものだ。やがては枯れてしまう。そう思うのも、折しも人生の儚さを感じているからだ。自分が死ぬのと菊の花が移ろうのとどちらが先だろうか。ならば、命ある今を享受しようではないか。
重陽の節句の頃の歌なのだろう。人々は、菊の花に無病息災や不老長寿を願う。しかし、作者は、素直にそんな気持ちになれない。人の命の頼りにならないことを知っているからである。先のことはわからない。しかし、菊も自分も今が盛りである。ならば、今をこそ楽しもうという思いを抱く。考えてみれば、過去は既に無く、未来は当てにならない。確かなのは、現在でしかないのだからと。

コメント

  1. すいわ より:

    永遠に続くものなどない。摘み取ってしまえば枯れることが必定な菊も終わりを見据えながらも香り高くその存在を主張する。ならば明日をも知れない人生、過去を嘆くことなく、未来に過度な期待をせず、今を、今世を謳歌しよう。
    新年一番に貫之の歌、こころに沁みました。これからも、ひと日、ひと日、丁寧に、大切に学ばせて頂きます。

    • 山川 信一 より:

      刹那主義、享楽主義に陥ることなく、また、過去や未来を怠惰や逃避の口実にしないように、今に生きることを大切にしたいですね。

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