《秋は西から》

貞観の御時、綾綺殿のまへにむめの木ありけり。にしの方にさせりけるえたのもみちはしめたりけるをうへにさふらふをのことものよみけるついてによめる 藤原かちおむ

おなしえをわきてこのはのうつろふは西こそ秋のはしめなりけれ

同じ枝を分きて木の葉の移ろふは西こそ秋の初めなりけれ (255)

貞観御時:清和天皇の御代の年号。
綾綺殿:宮中の御殿の一つ。清和天皇の御座所。

「貞観の御時、綾綺殿の前に梅の木があった。西の方に伸ばしていた枝が紅葉し始めたのを殿上人たちが詠んだついでに詠んだ  藤原勝臣
どの枝だって同じ一本の枝だのに、とりわけ木の葉が色づくのは、西こそが秋の初めだったのだなあ。」

区切れは無い。「西こそ」の「こそ」は係助詞で強調を表す。係り結びとして働き、文末を連体形にする。「初めなりけれ」の「けれ」は、詠嘆の助動詞「けり」の已然形。
綾綺殿の前に生えている梅の木の紅葉が始まった。見ると、西側だけが紅葉している。やはり、秋が西から来るのは本当だった。だから、五行思想では、西を秋に配しているし、中国の古典『礼記』に、立秋の日、天子が街の西に秋を迎えに行ったとあるのだ。
作者は、西側だけが紅葉している梅の木の紅葉を見ていて、その理由を考える。そして、五行思想や『礼記』に答えを得た。そこで、他の人々にも、この発見を伝えるために係り結びを用いた。「西こそ秋の初めなりけれ」の終わり方で含みを持たせている。この程度の教養は、当時の貴族には常識だったので、読み手には作者の意図が伝わったはずである。

コメント

  1. すいわ より:

    それぞれが紅葉を愛でた歌を詠んでいたのですね。そんな中、紅葉そのものでなく、方角という別の視点に注目。五行思想や「礼記」の知識があってこその歌、宮中に上がるだけの教養を備えた人たちが集った場に相応しい、皆が「あぁ、なるほど」と納得できる発見だったのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      この歌は、詞書によって、殿上人という教養人に向かって詠んだことがわかります。と言うことは、殿上人ならわかる含みがあるはずです。そこで、読者は「五行思想」「礼記」に思い当たります。詞書きによって、解釈が誘導されているのです。

      • らん より:

        ああ、そうなんだー、と私は素朴に思ったのですが、教養のある人には常識的な歌だったのですね。
        上流な感じです。

        • 山川 信一 より:

          詞書きは、歌の前提です。この歌で言えば、「殿上人」に向かって詠まれたのです。「ならば」という観点で解釈しなければなりません。歌と詞書きはセットなのです。

タイトルとURLをコピーしました