《季節の先取り》

題しらす よみ人しらす

ちはやふるかみなひやまのもみちはにおもひはかけしうつろふものを (254)

ちはやぶる神南備の山紅葉葉に思ひは掛けじ移ろふものを

「神南備の山の紅葉した葉に思いは掛けまい。散っていくのだから。」

「ちはやぶる」は「神」に掛かる枕詞。「掛けじ」の「じ」は打消意志の助動詞の終止形。ここで切れる。「移ろふものを」の「ものを」は接続助詞で、原因理由を表す。ここは、倒置になっている。
いち早く紅葉する神南備の山の森の木々は、いち早く散ってしまう。だから、今は紅葉が美しいけれど、それに思いを掛けまい。掛けても、直ぐに散ってがっかりするのだから。
季節の移ろいを先取りしてしまい、無邪気に紅葉の美しさに味わえない気持ちを表している。この歌も神南備の山の神の存在を想定している。神南備の山には、季節を急がせる荒々しい神がおありになるのだ。それを威勢の強さを表す「ちはやぶる」という枕詞で暗示している。一方、「思ひは掛けじ移ろふものを」は、恋が下敷きになっている。つれない人に恋をして直ぐに心変わりされる空しさが暗示されている。つまり、人事が自然のたとえに使われているのである。

コメント

  1. すいわ より:

    神の御技か、いち早く彩り豊かに紅葉する神南備山。彼方から眺めて羨む気持ち。今この時、手に入らないから尚のこと美しく感じるのでしょう。でも、その美しさも永遠ではない。報われない恋と同じ、思いを掛けても詮無いこと。身に近く、気付かぬうちに秋はやってくるのだろうから。

    • 山川 信一 より:

      神南備の山の紅葉が美しければ美しいほど、移ろうことが残念になります。それはまさに相手の心変わりを気に病む恋のようですね。

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