第二百三十八段  兼好の自慢話 その二 ~論語~

一、当代、いまだ坊におはしましし比、万里小路殿御所なりしに、堀川大納言殿伺候し給ひし御曹司へ、用ありて参りたりしに、論語の四、五、六の巻をくりひろげ給ひて、「ただ今御所にて、「紫の朱奪ふことを悪む」といふ文を御覧ぜられたき事ありて、御本を御覧ずれども、御覧じ出されぬなり。なほよく引き見よと仰せ事にて、求むるなり」と仰せらるるに、「九の巻のそこそこの程に侍る」と申したりしかば、「あなうれし」とて、もて参らせ給ひき。かほどの事は、児どもも常の事なれど、昔の人はいささかの事をも、いみじく自讃したるなり。後鳥羽院の、御歌に、「袖と袂と、一首のうちに悪しかりなんや」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、「秋の野の草の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらんと侍れば、何事をか候ふべき」と申されたる事も、「時にあたりて本歌を覚悟す。道の冥加なり。高運なり」など、ことことしく記しおかれ侍るなり。九条相国伊通公の款状(くゎんじゃう)にも、ことなる事なき題目をも書き載せて、自讃せられたり。

当代:後醍醐天皇。
坊:東宮坊(東宮の庶務を司った役所)の略。転じて、東宮(=皇太子)を言う。
紫の朱奪ふことを悪む:朱が紫に圧倒されてしまうように、不正が正を圧倒することを憎む。
款状:自分の功績を申し立てて官位を望んだり、訴訟の折に提出したりする嘆願状。

「一、今上天皇がまだ皇太子でいらっしゃった頃、万里小路邸が皇太子の御所であったが、堀川大納言殿がお仕えなさっていたお部屋へ、用があってお伺いしていた時に、論語の四、五、六の巻をお開きになって、『ただ今御所で、「紫の朱奪ふことを悪む」という本文を御覧あそばしたいことがあって、御本を御覧になるけれど、お見つけにならないのだ。それで、私にもっとよく探してみよとご命令があって、探しているのだ。』とおっしゃるので、『九の巻のどこそこあたりにございます。』と申し上げたところ、『ああ。うれしい。』と言って、それを持ってお差し上げになった。これくらいのことは、子どもたちだってできるのが普通のことであるけれど、昔の人はちょっとしたことでも、非常に自慢するのだ。後鳥羽院が、ご自分の御歌について、『袖と袂とが一首のうちに入っているのは悪かろうか。』と、定家卿にお尋ねあそばされたところが、『「秋の野の草の袂か花薄穂に出でて招く袖と見ゆらん」とございますから、何の差し支えがございますでしょう。』と申し上げなさっていることも、『その場に当たって根拠となる歌を記憶している。歌道の神のご加護なのだ。非常に強い運である。』など、定家卿が自著に仰々しくお記しおきになっていることでございます。九条相国伊通公の款状にも、別に変わったこともないつまらない題目をも書き載せて、自慢なさっている。」

皇太子に尋ねられて、堀川大納言が探しあぐねていた論語の本文を兼好が即座に言い当てたという自慢話。大したことがないと謙遜しつつも、定家や伊通公の例を出して、自己弁護している。定家や伊通公の例を出すこと自体も自慢と言えば、自慢になっている。そもそも、表現とは、多かれ少なかれ自慢の要素が含まれるものなのだろう。そうでなければ、人は表現などしないに違いない。

コメント

  1. すいわ より:

    言語表現という自己主張なのですね。あの方もあのように仰っていた、という例に挙げた人が一角の人物、それに自分を並べるあたり、やはり自慢話。でも「自慢話」をこれからするよ、と前置きした上での事だし、私たちは兼好君が賢い事も知っているので嫌味と受け取る事なく話を聞けます。

    • 山川 信一 より:

      自慢を宣言してから、自慢する。これが自慢話をする時のコツなのですね。さらに、前例上げれば完璧!見習いましょう。

タイトルとURLをコピーしました