第二百三十八段  兼好の自慢話 その一~馬芸~

 御随身近友が自讃とて、七箇条書きとどめたる事あり。皆、馬芸、させることなき事どもなり。その例を思ひて、自讃の事七つあり。
一、人あまたつれて花見歩きしに、最勝光院の辺にて、男の馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬倒れて、落つべし。しばし見給へ」とて立ちとまりたるに、又馬を馳す。止むる所にて、馬を引き倒して、乗る人泥土の中にころび入る。その詞のあやまらざる事を、人みな感ず。

御随身:舎人のこと。護衛官である近衛府の下級役人。

「御随身の近友の自慢話といって、友近が七箇条書きとどめたことがある。皆、馬術に関したことで、大したことのない事々である。その前例を思って、私にも自慢話が七つある。
一、人が多く連れ立って花を見歩いた時に、最勝光院の辺りで、男が馬を走らせるのを見て、『もう一度馬を走らせようものならば、馬が倒れて、きっと落ちるだろう。しばらくの間ご覧なさい。』と言って立ち止まっていると、また馬を走らせる。止まるところで、馬を引き倒して、乗る人は泥土の中に転げ込んだ。私のその言葉の間違っていないことを、人々が皆感心した。」

馬を操る者を見て、その腕前の程を見抜き、落馬を予想した。そのことで、人々から感心された話。兼好は馬芸にも通じていたのだろう。なるほど、自慢話である。友近に合わせて、馬芸から始めているのは、そこを出発点にして、自分の自慢話のスケールの大きさを示すためであろう。

コメント

  1. すいわ より:

    突然の自慢話、話題の緩急をつけて関心を引き付けているのでしょうか。
    馬に対する関心は強いようですね。百八十五、百八十六段でも馬について書いていました。
    落馬するとわかっているのなら、声を掛けてやればいいのに、とも思いますが、まぁ、自慢話、伺いましょう。「男の子」の顔で愉快そうに語る兼好の顔が見えるようです。

    • 山川 信一 より:

      この自由さが随筆という文芸ジャンルのいいところですね。どんな話でも自由に書けます。ただし、自慢話は、よほど好きな人でないと聞いちゃいられませんが、その人に人間味がよく表れます。『徒然草』をここまで読んできた読者なら聞いてみたいと思えるでしょう。兼好もそれを予想して、書いているに違いありません。

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